歩も進む能《あた》わず、引率せる人夫四名の中氏名不詳とせし男は此処より進む能わずとて落伍しました、残りの一行は更に勇を鼓し一層身軽にし双眼鏡、旗、鍋の外《ほか》は一切携帯せずに進むこととなりましたが、その苦しい事は口にも述べられぬほどです。上の方に攀登《よじのぼ》るのに綱を頭上の巌にヒョイと投げかけ、それを足代に登りかけると上の巌が壊れて崩れかかるという仕末《しまつ》で、その危険も一通りや二通りではありません、こんな処が六十間もありましたが、其処《そこ》を登りますと人間のやや休息するに足る場所がありましたからホッと一休みしました、また其処よりは立山の権現堂からフジという処を経て別山に赴くほどの嶮路で花崗片麻岩のガサ岩ばかりであります。かくて漸《ようや》く絶頂に達しましたのは、午前十一時頃でありました、この絶頂は円形のダラダラ坂で約四、五坪もありましょう。むかし何時《いつ》の時代か四尺五尺位の建物でもありましたものか、丁度その位の平地が三ヶ処ばかりありました、しかし木材の破片などは一切見当りません。一行がこの絶頂に於て非常に驚いたのは古来いまだかつて人間の入りし事のないちょうこの山の巓《いただ》きに多年風雨に曝《さら》され何ともいえぬ古色を帯《お》びた錫杖《しゃくじょう》の頭と長さ八寸一分、幅六分、厚三分の鏃《やじり》とを発見したことである。鏃は空気の稀薄なるためか空気の乾燥せる山頂にありしがためかさほど深錆とも見えないが、錫杖の頭は非常に奇麗な緑青色《ろくしょういろ》になっております。この二品は一尺五寸ばかり隔《へだ》ててありましたが、何時の時代、如何なる人が遺《のこ》して去りしものか、槍の持主と錫杖の持主とは同一の人かもし違って居るとすれば同時代に登りしものか、別時代に登りしものか、これらはすこぶる趣味ある問題で、もし更に進んで何故《なにゆえ》にこれらの品物を遺留し去りしか、別に遺留し去ったものでなく、風雨の変に逢うて死んだものとすれば遺骸《いがい》、少くも骨の一片位はなくてはならんはずだが、品物はそのまま其処《そこ》に身体は何処《どこ》か渓間《たにま》へでも吹飛されたものか、この秘密は恐《おそら》くは誰《だ》れも解《と》くものはあるまい、なお不審に堪えざるはその遺留品ばかりではない、この絶頂の西南大山の方面に当り二、三間下に奥行六尺、幅四尺位で人の一、二人は露宿し得るような岩窟がある、この窟の中で何年《いつ》か焚火した事があるものと見え蘚苔《せんたい》に封ぜられた木炭の破片を発見した事である、この外には這松《はいまつ》の枯れて石のようになりたる物二、三本と兎《うさぎ》の糞二、三塊ありしのみである、この劍山の七合目までは常願寺《じょうがんじ》川等にあるような滑沢《かったく》の大きな一枚岩であるが、上部は立山の噴火せし際|降《ふ》り積りしと思わるる岩石のみである、東南の早月《はやつき》川方面の方は赤褐色を帯べる岩で、北方は非常の絶壁でその支峰もいずれも剣を立てたるがごとく到底攀ずる事が出来ない、かくて一行は当日午後一時に下山し始め同四時に前夜の宿営地に無事引上げここに第一回の登山を終った。第二回には三角点測量標を建設せんものをと
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測夫 鳥取県東白郡市勢村 木山竹吉(三六)
人夫 中新川郡大岩村   岩木鶴次郎(二四)
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その他を率いたが、二等三角点を設けんとせしも、名にし負《お》う嶮山とて機械及材料を運上《はこびあ》ぐる事能わず、止《や》むを得ず四等三角点を建設する事とした。それも四本を接合せて漸く六尺位になる柱一本を樹《た》てたに過ぎない、この接合せるようにしたのは無論運搬が困難であるからであります、立山の高さは不明であります、立山に居りて見れば劍山の方が高く見えますけれど劍山では立山の方が高く見えます、大抵同様の高さかと思わる、立山の高さですか、それは二千五百米突以上という事になっています 云々《うんぬん》



底本:「山の旅 明治・大正篇」岩波文庫、岩波書店
   2003(平成15)年9月17日第1刷発行
   2004(平成16)年2月14日第3刷発行
底本の親本:「山岳 五の一」
   1910(明治43)年3月
初出:「山岳 五の一」
   1910(明治43)年3月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2010年2月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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