魚の寝入っているのも見物したいが夜中に巉岩《ざんがん》を蹈む勇気もなくて行かなかった、小一時間も過ぎると人夫が帰えって来た、明日の仕度もあるから喰うだけ獲て来たというて、四十尾ほど持って来た、なるほど岩魚も寝入るものと見える。
 二十日は六時五分に出立した、直に只見川を渉って対岸の岩壁を攀《よ》じるのである、この辺の只見川は水量が多くて、自分のようなコンパスの短いものは殆んど股まで達しる、山側を躋《のぼ》り尽すと高原的の処となるが、闊葉樹林の下に例の熊笹が繁茂していて、展望もなければ歩行も決して楽ではない、山毛欅の大樹に通行者の姓名や時日が記してあるのを栞《しおり》として、熊笹を分けたり蹈んだりして進んで行く、自分は友人の保阪定三郎氏の記名がある樹木を視《み》てすこぶる可懐《なつか》しく感じた、この辺は総て燧岳の裾野である、只見川の本流が懸水をなしている三丈瀑布を瞰下することが出来る、四時半に熊笹が全く絶えて一大曠野に出た、渺々とした茅の中に幾万の黄菅《きすげ》が咲いていて、美観が譬《たと》うるに物なしである、間もなく一小廃屋の前に出た、自分は太早計《だいそうけい》にもここを上州の尾瀬平と思い込んだが、それにしても只見川を踰《こ》えたはずがない、小一時間もうろついてようよう見当が附いた、マツクラから二里ばかり行くと魚釣りの小舎があると聞いていたが、自分も人夫も二里と呼ばれている処を、まさかに朝の六時から十時間もかかって其処《そこ》へ出たとは、最初の中《うち》はどうしても考えられなかった、それから只見川へ出て川を溯って行くと、左の山側に登る路があってそこを登った時には、真暗になって足下も見えなくなって来た、その夜はここに野営して水に遠いので一飯を抜くことにして睡《ね》むった。
 二十一日は五時二十分に出発した、路は明瞭な細径となって七時に峠を下った、ここで昨日の夜食と兼帯な朝飯をして九時五十分にこの地を離れた、間もなく尾瀬沼へ出て燧岳の登山口を過ぎて十時五十分に長蔵小屋に着いた、昨年の小屋は岩代の地籍にあったが、本年は上野の地籍に山中としては贅沢過ぎるほどな、旅店風の大家を新築している最中であった、自分はそこから日光の湯本へ向ったが平ヶ岳の紀行はこれで結末とする。
 平ヶ岳に登るには初冬の頃がよいと思う、白沢の水量も減じていようし、熊笹や雑木の勢いが夏期のように旺盛で
前へ 次へ
全16ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高頭 仁兵衛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング