305−16]画《とうが》的の大観が現出して来た、ここはもう平ヶ岳の一頂であって越後と上野を限っている山稜である、小池の傍に野営した。
翌十八日の五時に日輪が出た、六時十分に絶頂を指して登りはじめた、平坦な芝生に多くは小池があって、矮小《わいしょう》な灌木や熊笹の繁茂している所がままあるが、展望を妨げるようなことは少しもない、間もなく偃月形をなしているかなりの大残雪を蹈んで、七時五分に絶巓の三角点址に達した、絶巓は渺々《びょうびょう》たる曠野《こうや》であって一帯の芝生に、小池が所々にあって無数の南京小桜《なんきんこざくら》が池を廻って※[#「女+島」の「山」に代えて「衣」、306−6]娜《じょうだ》として可憐《かれん》を極めている、この曠野は三角点附近を最高点としていて、緩慢《かんまん》な傾斜をなして北方に低下しているが、絶頂に特に隆起した地点がないから、曠野の全部を一望の下に俯瞰《ふかん》することが出来ないで遺憾《いかん》というべきである、三角点址の眺望は非常に宏闊であって、南西に当って近くの鶴ヶ岳が金字形をなしている、その山貌と鳶色の山色より察すると火山岩である、鶴ヶ岳の左には馬鞍状の燧岳がある、鶴ヶ岳の右には尖端が天を衝《つ》いている日光白根がある、赤城と白根の間に男体山が見える、人夫の一人は男体山を富士山だかと三、四回も自分に質問した、浅間山が盛《さかん》に噴煙している、頸城《くびき》の平野を隔てて妙高《みょうこう》山が屹立《きつりつ》していて、その上方に日本アルプスの北部が杳々《ようよう》として最後の背景をなしている、また兎、中、駒、八海、荒沢、大鳥岳の連嶺は数十条の残雪を有していて、蒲原《かんばら》の平野も日本海も脚下に開展している、快晴の日には佐渡も富土山も認めることが出来るそうである、この山上の大観は吾《わ》が北越の諸山に比較すると、飯豊《いいで》山の雄渾《ゆうこん》豪壮に対しては少しく遜色があるが、有名な苗場山とは正に伯仲の間にあるものであろう、そうして苗場山を人工入神の作と見たならば、平ヶ岳は神作の拙なるものではあるまいか、絶頂から北へ向って行くと盃石という岩があると聞いたが、この日は不動瀑布上の野宿所まで戻るのであるのと、白沢を渉るときに足を少しく損じたので、帰途を急ぐ必要上から充分に山上を遊ぶことが出来ないので、八時に絶巓を辞して野宿所へ
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