不可能であると聞いた、また二十町ばかり行くと大津又川が東から只見川に這入《はい》る、ここから左折して大津又川を溯《さかのぼ》って行くと、その日に会津の檜枝岐に達することが出来て、昨年に自分がその路を通行したのであった、しかし檜枝岐から郵便物を投函すると、九日以上の日数を費さないと銀山平へ到着しないそうである、なお只見川に沿うて上ると灰瀑布がある、只見川の本流が瀑布をなしていて、午後になって日光が瀑布を射るようになると、瀑布の下の深淵から鱒魚が瀑布に向って飛び上る、それが容易に瀑布の上に登ることが出来ない、無数の鱒魚が滔々《とうとう》として物凄《ものすご》く山谷に響きわたって、倒《さか》さに銀河を崩すに似ている飛泉に、碧澗から白刃《はくじん》を擲《なげう》つように溌溂《はつらつ》として躍り狂うのであるから、鱒魚の豊富な年ほどそれだけ一層の壮観であるそうである、鱒魚はかように瀑布と悪戦苦闘を続けて労《つか》れに憊《つか》れて、到底瀑布を登ることが出来ぬと断念して、他に上るべき水路を求めている、人間の猿智慧はこんな山間でも悪用されていて、瀑布の下から瀑布の上に向うて迂回した水勢の緩慢《かんまん》な人工の水路が作られてある、労れた鱒魚はその水路を陸続として登って行く、それを人間が見ていて下の入口を塞《ふさ》いで、上から手網で容易に捕獲するのである、自分がこの瀑布を観《み》た折は午前九時であって、鱒魚は看《み》ることが出来なかったが、瀑布だけでもかなりの壮観であった、鱒魚を捕える漁夫小舎にいた老人が、中食の菜にというので焼いていた鱒魚の一片を自分に贈ってくれた、瀑布から少しく行くとヒルバに達した、これが銀山平の最終の人家である、幾分か時刻は早いのであるがここで中食した、十一時十分にヒルバを出発して山毛欅《ぶな》の大闊葉樹林の中に通じている、岩魚釣りの通路を辿《たど》って行くことになる、県の事業として椎茸《しいたけ》を培養している所がある、熊笹を分けたり小渓を登ったりして二時四十分に只見川に降った、ここをキンセイと呼んでいる、ここから只見川を上って三時十五分に白沢の出合に着いた、此処で荷物を減ずるために米の袋を、降雨や増水があっても流失や湿らぬ用意して置いて行った、只見川に別れて白沢を溯る、徒渉《としょう》というよりは全く川を蹈むのである、約一時間半でその日の露営地と予定してい
前へ 次へ
全16ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高頭 仁兵衛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング