水嶺となって、前面は銀山平即ち阿賀野川の流域となるのである、この峠は大明神峠とも呼ばれている、尾瀬大(中?)納言が讒者《ざんしゃ》のために流罪《るざい》となって、此処《ここ》を過ぎられた時に、大明神が現出されて路《みち》に枝折をされたという伝説がある、この峠を右に登ると五時間ばかりで駒ヶ岳の八合目ともいうべき処のアマ池に出る、それから約一時間四十分で駒ヶ岳の絶巓に至ることが出来る。
 ここで簡単に銀山平の説明をしておく、越後の南と北の魚沼郡の境界で、中ノ岳の南に兎岳というのがある、兎岳の尾根が東に延びて灰ノ又山となって、それから北に行って荒沢岳となって、更に東に延びている、この山脈と中ノ岳、駒ヶ岳の山脈の間を流れているのが、只見川の支流の北又川である、枝折峠から北又川に下ると、川の南方は処々に平地があって、自然の桑樹があるから昔しから養蚕期になると、この山間で養蚕をしていたらしい、北又川が只見川と出合うてから、只見川の上流に行くと、川の西方にも平地が処々にある、それが大略五、六里以上も続いている、その平地を総称して銀山平と呼ぶのである、会津藩の頃には只見川の上流で銀鉱を採掘してかなり盛んであったらしい、近年にこの平の開墾事業が起って、各所に人家が出来たが、日本でも有数な越後平野で成長した人から見ると、平どころの話しでなく、てんで人の棲《す》む処《ところ》でないらしく考えられるので、移民が尠《すく》ないらしい、甲州の野呂川谷などから見ると非常に美事《みごと》な処である、会津方面の大平野を知らない山間の貧民を優待して開墾させるに限ると思う、自分は平野地で生活が出来なくなったら、この谷へ引込んで、養蚕で米代を取って、蕎麦や粟の岡物で補うて、小出方面で蕨《わらび》や蕗《ふき》がなくなる頃に、蕨や蕗がこの谷では盛んであるから、それを小出の町へ売出したりする気である、まだ棲めばいくらも収入を見出す事が出来ると思う、呉服屋が来るではなし、菓子屋が来るではないから節倹は思うままに出来る、汽車が通って石炭臭い処に蠢々《しゅんしゅん》していないで、こんな処で暢気《のんき》に生活しようとする哲人が農家に尠ないものと見える、村会議員や郡会議員になって、愚にも付かない理屈を並べている者から見ると、どんなに気が利《き》いていて気楽で国益になるか知れない、大気焔はこの位で切り上げて、舞台を平ヶ岳
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