り、字を追っていたりする久能の傍には五分といつかないで、男一人が壁に向って、しかめ面をして考え事をしている陰惨さを怕がったり、嗤ったりして出て行くのだった。実際、久能の部屋といえば、書物や切抜きが取りちらかり、足踏みもならなくなっているばかりか、花瓶はあっても横ざまにころがり、時々垢じみた万年床が敷いてあったりして、シックな青年を見馴れている青江の興味を惹くものはどこにもなかった。
 秋の初めのある夜図書館からの帰りに、久能はその時雑誌の三号目の編輯当番だったので、三ツ木の処に廻って原稿を催促すると、彼もまだ手をつけていず、久能君、不思議だねえ、と三ツ木は歎息していった、筆をとるまでは百千万の想像が阿修羅の如くあばれまわっていたのに、いざとなるとそいつらは宦官のようにおとなしくなっちまいましてね、併し久能君、落付いてやりましょう、と下宿を飛び出し、撞球屋に案内して、白珠、赤珠をごろごろ限りなく撞き出したので、久能がもて余していると、三ツ木は、僕はこうやっているとふっといい題材を思いつくんですよ、といって久能を散々に負かした。久能が下宿に帰ってくると鍵がおりていた。お主婦《かみ》さんが起きて開けてくれ、そうそうと思い出したように、久能さん、お手紙、青《ああ》ちゃんが預ってるわ、と少し皮肉らしくいったので、突嗟に久能は異常なものを感じた。今まで彼に来た手紙がそんな取扱をうけたことはなかった。すぐ階段を上らずに、まだ起きているのか、淡く灯のついている青江の部屋の障子を細目に開くと、仰向けの青江の白い寝顔が見えた。ちょっと、と呼びかけてみると、表情は動かなかったが、硬ばった頬と唇には明らかに意識が動いていて、眼が次第に開いて来、久能を上眼に盗み見ると、頸を縮めて夜具の中にかくれていった。手紙? と愛想なくせき立てると、青江は初めて眼ざめたように大きく眼を開いて、久能を睨みあげ、知らない、手紙なんか! あっちへいってよ、というので、久能は自分の過失を責められたみたいに、良心が狼狽して来た。翌朝久能が眼ざめると、無惨に開封された黄色い封筒が枕許に放り出してあった。開くと柔らかな芳香が流れ出して、達筆にかかれた青文字が微妙なデッサンに見えた。婦人から手紙を貰ったことのない久能は、陶酔的に胸が熱くなり、その中の事務的な文句が最初は魔の様に踊り出して、相手から余程の好意を寄せられたか
前へ 次へ
全17ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊田 三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング