者とが遊びに来た。
「あなたはどこにお勤めでしたの?」とは、お袋が異様な問いであった。
「わたしはそんな苦労人《くろうと》じゃアございませんよ」と、僕の妻は顔を赤くして笑った。「そりゃア、これまでにも今度のようなことがあったし、またいろんな芸者をつれ込んで来られたこともあったから、その方では随分|苦労人《くろうにん》になった、わ」
「ほんとです、ねえ、私も若い時は随分そんな苦労をさせられましたよ。今では、また、子供のために苦労――世間では、娘を芸者にして、親は左うちわで行けると申しますが、こんな働きのない子ばかりでは、どうして、どうして、かえって苦労は絶えません」
 こういう話しがあってから、吉弥とお袋とは帰った。まだ青木から餞別《せんべつ》でも貰おうという未練があったので、かれを呼び出しに行ったのだが、かれは逃げていて、会えずにしまったらしい。
 妻は跡に残った新芸者――色は白いが、お多福――からその可哀そうな身の上ばなしを聴き、吉弥に対する憎みの反動として、その哀れな境遇に同情を寄せた。東京からわざわざやって来て、主人には気に入りそうな様子が見えないのであった。
 この女から妻は吉弥の家の状態をも聴き、僕の推知していた通り吉弥の帰るのを待っている男(それが区役所先生の野沢だ)があって、今度もそれが拵えてやった新調の衣物を一揃えお袋が持って来たということまで分った。引かされるのを披露《ひろう》にまわる時の用意になるのであったろう。
「田村さんの奥さんに会いたい」という人が、突然やって来た。それが例の住職だ。
 こうこう、こういう事情になっているところを、僕が逃げたというので、その代りに住職に復讐《ふくしゅう》しようと、町の侠客《きょうかく》連が二、三名動き出したのを、人に頼んで、ようやく推し静めてもらったが、
「いつ、どんな危険が奥さんにも及ぶか分りませんから、今晩急いで帰京する方がよろしかろう」との忠告だ。
 僕の妻は子をいだいて青くなった。
 吉弥のお袋の出した電報の返事が来たら、三人一緒に帰京する約束であったが、そうも出来ないので、妻は吉称の求めるままに少しばかり小遣いを貸し与え、荷物の方《かた》づけもそこそこにして、僕の革鞄《かばん》は二人に託し井筒屋の主人と住職とにステーションまで送られて、その夜東京へ帰って来た。
「憎いのは吉弥、馬鹿者はあなた、可哀そうなのは代りに行った芸者だ」と、妻は泣いて僕に語った。
 その翌日から、妻は年中|堪《こら》えに堪えていたヒステリが出て、病床の人となった。乳飲み児はその母の乳が飲めなくなった。その上、僕ら二人の留守中に老母がその孫どもに食べ過ぎさせたので、それもまた不活溌《ふかっぱつ》に寝たり、起きたりすることになった。
 僕の家は、病人と痩せッこけの住いに変じ、赤ん坊が時々|熱苦《あつくる》しくもぎゃあぎゃあ泣くほかは、お互いに口を聴《き》くこともなく、夏の真昼はひッそりして、なまぬるい葉のにおいと陰欝な空気とのうちに、僕自身の汗じみた苦悶《くもん》のかげがそッくり湛《ただよ》っているようだ。こうなると、浮薄な吉弥のことなどは全く厭になってしまった。
 僕は独り机に向い、最も不愉快な思いがして、そぞろ慚愧《ざんき》の情に咽《むせ》びそうになったが、全くこの始末をつけてしまうまでは、友人をも訪わず、父の家にも行くまいと決心した。
 全く放棄されたこの家はただ僕一人の奮励いかんにあるのだが、第一に胸に浮ぶ問題は、
「この月末をどうしよう?」
 しかもそれがこの二、三日に迫っているのだ。

     二四

 あわてたところで、だめなものはだめだから、まず書きかけた原稿を終ってしまおうと、メレジコウスキの小説縮写をつづけた。
 レオナドの生涯は実に高潔にして、悲惨である。語らぬ恋の力が老死に至るまで一貫しているのは言わずもあれ、かれを師とするもののうちには、師の発展のはかばかしくないのをまどろッこしく思って、その対抗者の方へ裏切りしたものもあれば、また、師の人物が大き過ぎて、悪魔か聖者か分らないため、迷いに迷って縊死《いし》したのもある。また、師の発明|工風《くふう》中の空中飛行機を――まだ乗ってはいけないとの師の注意に反して――熱心の余り乗り試み、墜落負傷して一生の片輪になったのもある。そして、レオナドその人は国籍もなく一定の住所もなく、きのうは味方、きょうは敵国のため、ただ労働神聖の主義をもって、その科学的な多能多才の応ずるところ、築城、建築、設計、発明、彫刻、絵画など――ことに絵画はかれをして後世永久の名を残さしめた物だが、ほとんどすべて未成品だ――を平気で、あせることなくやっている間に、後進または弟子《でし》であってまた対抗者なるミケランジェロやラファエルなどに圧倒されてしまった。
 僕はその大エネルギと絶対忍耐性とを身にしみ込むほど羨《うらや》ましく思ったが、死に至るまで古典的な態度をもって安心していたのを物足りないように思った。デカダンはむしろ不安を不安のままに出発するのだ。
 こんな理屈ッぽい考えを浮べながら筆を走らせていると、どこか高いところから、
「自分が耽溺《たんでき》しているからだ」と、呼号するものがあるようだ。またどこか深いところから、
「耽溺が生命だ」と、呻吟《しんぎん》する声がある。
 いずれにしても、僕の耽溺した状態から遊離した心が理屈を捏《こ》ねるに過ぎないのであって、僕自身の現在の窮境と神経過敏とは、生命のある限り、どこまでもつき纏《まと》って来るかのように痛ましく思われた。
 筆を改めた二日目に原稿を書き終って、これを某雑誌社へ郵送した。書き出しの時の考えに従い、理屈は何も言わないで、ただ紹介だけにとどめたのだ。これが今月末の入費の一部になるのであった。
 その夕がた、もう、吉弥も帰っているだろうと思い、現に必要な物を入れてある革鞄を浅草へ取りに行った。一つは、かの女の様子を探るつもりであった。
 雷門《かみなりもん》で電車を下り、公園を抜けて、千束町、十二階の裏手に当る近所を、言われていた通りに探すと、渡瀬という家があったが、まさか、そこではなかろうと思って通り過ぎた。二階長屋の一隅《いちぐう》で、狭い古い、きたない、羅宇《らお》や煙管《きせる》の住いそうなところであった。かのお袋が自慢の年中絹物を着ているものの住所とは思えなかった。しかし、ほかには渡瀬という家がなさそうだから、跡戻《あともど》りをして、その前をうろついていると、――実は、気が臆《おく》してはいりにくかったのだ――
「おや、先生」と、吉弥が入り口の板の間まで出て来た。大きな丸髷《まるまげ》すがたになっている。
「………」僕は敷居をまたいでから、無言で立っていると、
「まア、おあがんなさいな」と言う。
 見れば、もとは店さきでもあったらしい薄ぐらい八畳の間の右の片隅に僕の革鞄が置いてある。これに反対した方の壁ぎわは、少し低い板の間になっておやじの仕事場らしい。下駄の出来かけ、桐《きり》の用材などがうっちゃり放しになっている。八畳の奥は障子なしにすぐに居間であって、そこには、ちゃぶ台を据えて、そのそばに年の割合いにはあたまの禿《は》げ過ぎた男と、でッぷり太った四十前後の女とが、酒をすませて、御飯を喰っている。禿げあたまは長火鉢の向うに坐って、旦那《だんな》ぶっているのを見ると、例の野沢らしい。
 僕はその室にあがって、誰れにもとつかず一礼すると、女の方は丁寧に挨拶したが、男の方は気がついたのか、つかないのか、飯にかこつけて僕を見ないようにしている。
 吉弥はその男と火鉢をさし挟《はさ》んで相対し、それも、何だか調子抜けのした様子。
「まア、御飯をお済ましなさい」こう、僕が所在なさに勧めると、
「もう、すんだの」と、吉弥はにッこりした。
「おッ母さんは?」
「赤坂へ行って、いないの」
「いつ帰りました?」
「きのう」
「僕の革鞄を持って来てくれたか、ね?」これはわざと聴いたのだ。
「あすこにある、わ」と、指さした。
「あれが入り用だから、取りに来ました」
「そう?」吉弥は無関係なように長い煙管をはたいた。
 こんな話をしているうちに、跡の二人は食事を済ませ、家根屋の持って来るような梯子《はしご》を伝って、二階へあがった。相撲《すもう》取りのように腹のつき出た婆アやが来て、
「菊ちゃん、もう済んだの?」と言って、お膳をかたづけた。
 いかにも、もう吉弥ではなく、本名は菊子であった。かの女は男の立った跡へ直り、煙管でおのれの跡をさし示し、
「こッちへおいで」という御命令だ。
 僕はおとなしくその通りに住まった。
 二階では、例の花を引いている様子だ。
「あれだろう?」僕がこう聴くと、
「そうよ」と、菊子が嬉しがった。
 馬鹿な奴だとは思ったが、僕はもう未練がないと言いたいくらいだから、物好き半分に根問いをして見た。二階にはおやじもいるし、他にまだ二人ばかりいる。跡からあがった(それも昼ごろから来ていたという)女は、浅草公園の待合○○の女将であった。
 菊子の口のはたの爛《ただ》れはすッかり直ったようだが、その代りに眼病の方がひどくなっている。勤めをしている時は、気の張りがあったのでまだしも病毒を押さえていられたが、張りが抜けたと同時に、急にそれが出て来たのだろう。井筒屋のお貞が言った通り、はたして梅毒患者であったかと思うと、僕は身の毛が逆立ったのである。井上眼科病院で診察してもらったら、一、二箇月入院して見なければ、直るか直らないかを判定しにくいと言ったとか。
 かの女は黒い眼鏡を填《は》めた。
 僕は女優問題については何も言わなかった。
 十二、三歳の女の子がそとから帰って来て、
「姉さん、駄賃おくれ」と、火鉢のそばに足を投げ出した。顔の厭に平べッたい、前歯の二、三本欠けた、ちょっと見ても、愛相が尽きる子だ。菊子が青森の人に生んで、妹にしてあると言ったのは、すなわち、これらしい。話しばかりに聴いて想像していたのと違って、僕が最初からこの子を見ていたなら、ひょッとすると、この子を子役または花役者に仕上げてやりたいなどいう望みは起らなかったばかりか、吉弥に対してもまた全く女優問題は出なかったかも知れない。今一人、実の妹を見たかったのであるが、公園芸者になっているから、そこにはいなかった。
「先生がいらッしゃるじゃないか? ちゃんとお坐り」こう菊子が言ったので、子は渋々坐り直した。
「けいちゃん、お前、役者になるかい?」
「あたい、役者なんか厭だア」と、けいちゃんというのがからだを揺すった。
 僕は菊子がその子をも女優にならせるという約束をこの通り返り見ないでいても、それを責める勇気はなかった。

     二五

「さア、やるから遊んでおいで」と、菊子は二銭銅をほうり出すと、けいちゃんはそれを拾って出て行った。
 菊子も僕を置いて二階へあがった。
 二階では、――
「さァ、絶体だ」
「出る、出る!」
「助平だ、ねえ――?」
「降りてやらア」
「行けばいいのに――赤だよ」
「そりゃ来た!」
「こん畜生!」
 ぺたぺたと花を引く音がしていた。
 菊子がまだ国府津にいた時、僕をよろこばせようとして、
「帰ったら、うちの二階が明いてるから、隔日に来て、あすこで、勉強しなさいよ」と言った、その二階がいつもあのざまなのだろう。見す見す堕落の淵《ふち》に落し入れられるのであった。未練がないだけ、僕は今かえって仕合せだと思ったが、また、別なところで、かれらの知らないうちにああいう社会にはいって、ああいう悪風に染《そ》み、ああいう楽しみもして、ああいう耽溺のにおいも嗅いで見たいような気がした。僕は掃《は》き溜《だ》めをあさる痩せ犬のように、鼻さきが鋭敏になって、あくまで耽溺の目的物を追っていたのである。
 やがて菊子が下りて来て、
「お父さんはお花に夢中よ」と言う。まだ多少はしおらしいところがあって、ちょッと顔を出せとでも言って来たものらしい。会いたくないと言ったのだろう。僕は、かのうなぎ屋
前へ 次へ
全12ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岩野 泡鳴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング