より年上の妻は、その時からじみな作りを好んでいたので、僕がわざわざ若作りにさせるため、買ってやったのだ。今では不用物だから、子供の大きくなるまでと言ってしまい込んであるが、その色は今も変らないで、燃えるような緋縮緬《ひぢりめん》には、妻のもとの若肌のにおいがするようなので、僕はこッそりそれを嗅いで見た。
「今の妻と吉弥とはどちらがいい?」と言う声が聴えるようだ。
「無論、吉弥だ」と、言いきりたいのだが、心の奥に誰れか耳をそば立てているものがあるような気がして、そう思うことさえ憚《はばか》られた。
とにかく、多少の価《ね》うちがありそうな物はすべて一包みにして、僕はやとい車に乗った。質屋をさして車を駆けらしたのである。
友人にでも出会ったら大変と、親しみのある東京の往来を、疎《うと》く、気恥かしいように進みながら、僕は十数年来つれ添って来た女房を売りに行くのではないかという感じがあった。
僕は再び国府津へ行かないで――もし行ったら、ひょッとすると、旅の者が土地を荒らしたなど言いふらされて、袋だたきに逢《あ》わされまいものでもないから――金子《きんす》だけを送ってやることに初めから心には定めていたので、すぐ吉弥|宛《あ》てで電報がわせをふり出した。
二二
国府津では、僕の推察通り、僕に対する反動が起った。
さすがは学校の先生だけあって、隣りに芸者がいても寄りつきもしない、なかなか堅い人であるというのが、僕に対する最初の評判であったそうだ。が、だんだん僕の私行があらわれて来るに従って、吉弥の両親と会見した、僕の妻が身受けの手伝いにやって来たなど、あることないことを、狭い土地だから、じきに言いふらした。
それに、吉弥が馬鹿だから、のろけ半分に出たことでもあろう、女優になって、僕に貢《みつ》ぐのだと語ったのが、土地の人々の邪推を引き起し、僕はかの女を使って土地の人々の金をしぼり取ったというように思われた。それには、青木と田島とが、失望の恨みから、事件を誇張したり、捏造《ねつぞう》したりしたのだろう、僕が機敏に逃げたのなら、僕を呼び寄せた坊主をなぐれという騒ぎになった。僕の妻も危険であったのだが、はじめは何も知らなかったらしい。吉弥を案内として、方々を見物などしてまわった。
僕が出発した翌日の晩、青木が井筒屋の二階へあがって、吉弥に、過日与えた小判の
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