のぞいている。
神経の冴《さ》え方が久しぶりに非常であるのをおぼえた。……ビスマクの首……グラドストンの首……かつて恋しかった女どもの首々……おやじの首……憎い友人どもの首……鬼女や滝夜叉《たきやしゃ》の首……こんな物が順ぐりに、あお向けに寝て覚《さ》めている室の周囲《まわり》の鴨居《かもい》のあたりをめぐって、吐《つ》く息さえも苦しくまた頼もしかった時だ――「鬼よ、羅刹《らせつ》よ、夜叉の首よ、われを夜伽《よとぎ》の霊の影か……闇の盃盤《はいばん》闇を盛りて、われは底なき闇に沈む」と、僕が新体詩で歌ったのは!
さまざまの考えがなお取りとめもなく浮んで来て、僕というものがどこかへ行ってしまったようだ。その間にあって、――毀誉褒貶《きよほうへん》は世の常だから覚悟の前だが――かの「デカダン論」出版のために、生活の一部を助けている教師の職(僕は英語を一技術として教えているのであって、その技術を金で買うように思っている現代学生には別に師事されるのを潔しとしない)を、妻の聴いて来た通り、やめられるなら、早速また一苦労がふえるという考えが、強く僕の心に刻まれた。
しかし、その時はまだその時で、一層奮励の筆をもって、補いをつけることが出来ると、覚悟した。
すると、また、心の奥から、国府津に送る金はどうすると尋問し出す。これが最もさし迫った任務である。しかし、それもまた、僕には、残忍なほど明確な決心があった。
それがために、しかしわが家ながら、他家のごとく窮屈に思われ、夏の夜をうちわ使う音さえ遠慮がちに、近ごろにない寂しい徹宵《てっしょう》の後に、やッと、待ち設けた眠りを貪《むさぼ》った。
二一
子供の起きるのは早い。翌朝、僕が顔を洗うころには、もう、飯を済ましていた。
「お帰りなさい」とも、何とも言わないで、軽蔑《けいべつ》の様子が見えるようだ。口やかましいその母が、のぼせ返って、僕の不始末をしゃべるのをそばで聴いていたのだろうと思われた。
僕が食膳に向うと、子供はそばへ来て、つッ立ったまま、姉の方が、
「学校は、もう、来月から始まるのよ」と言う。吉弥を今月中にという事件が忘れられない。弟の方はまた、
「お父さん、いちじくを取っておくれ」と言う。
いちじくと言われたので、僕はまた国府津の二階住いを冷かされたように胸に堪《こた》えた。
「まだもう少
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