ないで、ちょッと酒でも飲めと言われたのをしおに、初めて酒という物に酔って見たと答えた。
僕は、妻を褥《とこ》につけてから、また井筒屋へ行って飲んだ。吉弥の心を確かめるため、また別れをするためであった。十一時ごろ、帰りかけると、二階のおり口で、僕を捉《とら》えて言った。
「東京へ帰ると、すぐまた浮気をするんだろう?」
「馬鹿ア言え。お前のために、随分腹を痛めていらア」
「もッと痛めてやる、わ」吉弥は僕の肩さきを力一杯につねった。
妻のところへ帰ると、僕のつく息が夕方よりも一層酒くさいため、また新らしい小言を聴かされたが、僕があやまりを言って、無事に済んだ。――しかし、妻のからだは、その夜、半ば死人のように固く冷たいような気がした。
二〇
その翌日、吉弥が早くからやって来て、そばを去らない。
「よっぽど悋気《りんき》深《ぶか》い女だよ」と、妻は僕に陰口を言ったが、
「奥さん、奥さん」と言われていれば、さほど憎くもない様子だ。いろいろうち解けた話もしていれば、また二人一緒になって、僕の悪口《あっこう》――妻のは鋭いが、吉弥のは弱い――を、僕の面前で言っていた。
「長くここへ来ているの?」
「いいえ、去年の九月に」
「はやるの?」
「ええ、どこででもきイちゃんきイちゃんて言ってくれてよ」
「そう」と、あざ笑って、「はやりッ子だ、ねえ。――いくつ?」
「二十七」僕はこれを聴いて、吉弥が割合いに正直に出ていると思った。
「学校ははいったの?」
「いいえ」
「新聞は読めて?」
「仮名をひろって読みます、わ」
「それで役者になれるの?」
「そりゃアどうだか分りませんが、朋輩《ほうばい》同志で舞台へ出たことはあるのよ」
二人はこんな問答もあった。
僕は、帰京したら、ひょッとすると再び来ないで済ませるかも知れないと思ったから、持って来た書籍のうち、最も入用があるのだけを取り出して、風呂敷包みの手荷物を拵えた。
遅くなるから、遅くなるからと、たびたび催促はされたが、何だか気が進まないので、まアいい、まアいいと時間を延ばし、――昼飯を過ぎ、――また晩飯を喫してから、――出発した。その日あたりからして、吉弥へ口のかかって来ることがなくなって来たのだ。狭いところだから、すぐ評判になったのであろう。妻を海岸へ案内しようと思ったが、それも吉弥が引き受けたのでまかしてしまっ
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