なく懐かしいような気がする。しかし、また考えると、高潔でよく引き締った半僧生活は、十数年前、すでに、僕は思想と実験との上で通り抜けて来たのだ。そんな初々《ういうい》しいことで、現在の僕が満足出来ないのは分りきっている。僕の神経はレオナドの神経より五倍も十倍も過敏になっているだろう。
 こう思うと、また、古寺の墓場のように荒廃した胸の中のにおいがして来て、そのくさい空気に、吉弥の姿が時を得顔に浮んで来る。そのなよなよした姿のほほえみが血球となって、僕の血管を循環するのか、僕は筋肉がゆるんで、がッかり疲労し、手も不断よりは重く、足も常よりは倦怠《けったる》いのをおぼえた。
 僕の過敏な心と身体とは荒んでいるのだ。延びているのだ。固まっていた物が融けて行くように、立ち据《す》わる力がなくなって、下へ下へと重みが加わったのだろう。堕落、荒廃、倦怠《けんたい》、疲労――僕は、デカダンという分野に放浪するのを、むしろ僕の誇りとしようという気が起った。
「先駆者」を手から落したら、レオナドはいなくなったが、吉弥ばかりはまだ僕を去らない。
 かの女は無努力、無神経の、ただ形ばかりのデカダンだ、僕らの考えとは違って、実力がない、中味がない、本体がない。こう思うと、これもまた厭《いや》になって、僕は半ばからだを起した。そうすると、吉弥もまた僕の心眼を往来しなくなった。
 暑くッてたまらないので、むやみにうちわを使っていると、どこからか、
「寛恕《かに》して頂戴よ」という優しい声が聴える。しかしその声の主はまだ来ないのであった。

     十六

 僕が強く当ったので、向うは焼けになり、
「じゃア勝手にしろ」という気になったのではあるまいか? それなら、僕から行かなければ永劫《えいごう》に会えるはずはない。会わないなら、会わない方が僕に取ってもいいのだが、まさか、向うはそうまで思いきりのいい女でもなかろう。あの馬鹿|女郎《めろう》め、今ごろはどこに何をしているか、一つ探偵《たんてい》をしてやろうと、うちわを持ったまま、散歩がてら、僕はそとへ出た。
 井筒屋の店さきには、吉弥が見えなかった。
 寝ころんでいたせいもあろう、あたまは重く、目は充血して腫《は》れぼッたい。それに、近ごろは運動もしないで、家にばかり閉《と》じ籠《こも》り、――机に向って考え込んでいたり――それでなければ、酒を飲
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