が一つあって、そこに大きな姿見が据《す》えてある。お君さんがその前に立って、しきりに姿を気にしていた。畳一枚ほどに切れている細長い囲炉裡には、この暑いのに、燃木《まき》が四、五本もくべてあって、天井から雁木《がんぎ》で釣《つ》るした鉄瓶《てつびん》がぐらぐら煮え立っていた。
「どうも、毎度、子供がお世話になって」と、炉を隔てて僕と相対したお貞婆さんが改まって挨拶《あいさつ》をした。
「どうせ、丁寧に教えてあげる暇はないのだから、お礼を言われるまでのことはないのです」
「この暑いのに、よう精が出ます、な、朝から晩まで勉強をなさって?」
「そうやっていなければ喰えないんですから」
「御常談《ごじょうだん》を――それでも、先生はほかの人と違って、遊びながらお仕事が出来るので結構でございます」
「貧乏ひまなしの譬《たと》えになりましょう」
「どう致しまして、先生――おい、お君、先生にお茶をあげないか?」
 そのうち、正ちゃんがどこからか帰って来て、僕のそばへ坐って、今|聴《き》いて来た世間のうわさ話をし出す。お君さんは茶を出して来る。お貞が二人の子供を実子のように可愛がり、また自慢するのが近処の人々から嫌われる一原因だと聴いていたから、僕はそのつもりであしらっていた。
「どうも馬鹿な子供で困ります」と言うのを、
「なアに、ふたりとも利口なたちだから、おぼえがよくッて末頼《すえたの》もしい」と、僕は讃《ほ》めてやった。
「おッ母《か》さん、実は気が欝《うっ》して来たんで、一杯飲ましてもらいたいんです、どッかいい座敷を一つ開けてもらいましょうか?」
「それはありがとうござります」と、お貞はお君に目くばせしながら、
「風通しのええ二階の三番がよかろ。あすこへ御案内おし」
「なアに、どこでもいいですよ」と、僕は立ってお君さんについて行った。煙草盆《たばこぼん》が来た、改めてお茶が出た。
「何をおあがりなさいます」と、お君のおきまり文句らしいのを聴くと、僕が西洋人なら僕の教えた片言を試みるのだろうと思われて、何だか厭な、小癪《こしゃく》な娘だという考えが浮んだ。僕はいい加減に見つくろって出すように命じ、巻煙草をくわえて寝ころんだ。
 まず海苔《のり》が出て、お君がちょっと酌《しゃく》をして立った跡で、ちびりちびり飲んでいると二、三品は揃《そろ》って、そこへお貞が相手に出て来た。
「お
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