本文に這入るのやて――」
「まア、一息つき給え」と、僕は友人と盃の交換をした。酔《よ》いもまわったのであろう、友人は、気質に似合わず、非常にいい気持ちの様子で、にこにこ笑うている。然し、その笑いが何となく寂しいのは、友人の周囲を僕に思い当らしめた。
「久し振りで君が尋ねて来て、今夜はとまって呉れるのやさかい、僕はこないに嬉しいことはない。充分飲んで呉れ給え」と、酌をしてくれた。
「僕も随分やってるよ。――それよりか、話の続きを聴こうじゃないか?」
「それで、僕等の後備歩兵第○聨隊が、高須大佐に導かれて金州半島に上陸すると、直ぐ鳳凰山を目がけて急行した。その第五中隊第一小隊に、僕は伍長として、大石軍曹と共に、属しておったんや。進行中に、大石軍曹は何とのうそわそわして、ただ、まえの方へ、まえの方へと浮き足になるんで、或時、上官から、大石、しッかりせい。貴様は今からそんなざまじゃア、大砲の音を聴いて直ぐくたばッてしまうやろ云われた時、赤うなって腹を立て、そないに弱いものなら、初めから出征は望みません、これでも武士の片端やさかい、その場にのぞんで見て貰いましょ。――それからと云うものずうッと腹が立っとったんやろ、無言で鳳凰山まで行進した。もう、何でも早う戦場にのぞみとうてのぞみとうて堪えられなんだやろ。心では、おうかた、大砲の音を聴いとったんやろ。僕は、あの時成る程離縁問題が出た筈やと思た。」
「成る程、これからがいよいよ人の気が狂い出すという幕だ、な。」
「それが、さ、君忘れもせぬ明治三十七年八月の二十日、僕等は鳳凰山下を出発し、旅順要塞背面攻撃の一隊として、盤龍山《ばんりゅうざん》、東鷄冠山《ひがしけいかんざん》の中間にあるピー砲台攻撃に向《むこ》た。二十日の夜行軍、翌二十一日の朝、敵陣に近い或地点に達したのやけど、危うて前進が出来ん。朝飯の際、敵砲弾の為めに十八名の死者を出した。飯を喰てたうえへ砲弾の砂ほこりを浴びたんやさかい、口へ這入るものが砂か米か分らん様《よ》であった。僕などは、もう、ぶるぶる顫《ふる》て、喰う気にもなれなんだんやけど、大石軍曹は、僕等のあたまの上をひゅうひゅう飛んで行く砲弾を仰ぎながら、にこにこして喰っておった。「腹が出来んといくさも出来ん。」僕等の怖《こお》なった時に、却って平気なもんであった。軍曹が上官にしかられた時のうわつき方とは丸で違《ちご》てた。気狂いは違たもんやて、はたから僕は思た。僕は、まだ、戦場におる気がせなんだんや。それが、敵に見られん様に、敵の刈り残した高黍畑の中を這う様にして前進し、一方に小山を楯にした川筋へ出た。川は水がなかったんで、その川床にずらりと並んで敵の眼を暗《くら》ました。鳥渡でも頸を突き出すと直ぐ敵弾の的になってしまう。昼間はとても出ることが出来なかった、日が暮れるのを待ったんやけど、敵は始終光弾を発射して味方の挙動を探るんで、矢ッ張り出られんのは同じこと。」
「鳥渡聴くが、光弾の破裂した時はどんなものだ?」
「三四尺の火尾を曳いて弓形に登り、わが散兵線上に数個破裂した時などは、青白い光が広がって昼の様であった。それに照らされては、隠れる陰がない。おまけに、そこから敵の砲塁までは小川もなく、樹木もなく、あった畑の黍は、敵が旅順要塞に退却の際、みな刈り取ってしもたんや。一歩踏み出せば、もう、直ぐ敵弾の餌食は覚悟せにゃならん。聨隊長はこの進軍に反対であったんやけど、止むを得ん上官の意志であったんやさかい、まア、半分焼けを起して進んで来たんや。全滅は覚悟であった。目的はピー砲台じゃ、その他の命令は出さんから、この川を出るが最後、個々の行動を取って進めという命令が、敵に悟られん様に、聨隊長からひそかに、口渡しで、僕等に伝えられ、僕等は今更電気に打たれた様に顫たんやが、その日の午後七時頃、いざと一同川を飛び出すと、生憎諸方から赤い尾を曳いて光弾があがり、花火の様にぱッと弾けたかと思う間ものう、ぱらぱらと速射砲の弾雨を浴びせかけられた。それからていうもの、君、敵塁の方から速射砲発射の音がぽとぽと、ぽとぽとと聴える様になる。頭上では、また砲弾が破裂する。何のことはない、野砲、速射砲の破裂と光弾の光とがつづけざまにやって来るんやもの、かみ鳴りと稲妻とが一時に落ちる様や、僕等は、もう、夢中やった。午後九時頃には、わが聨隊の兵は全く乱れてしもて、各々その中隊にはおらなかった。心易いものと心易いものが、お互いに死出の友を求めて組みし合い、抱き合うばかりにして突進した。今から思て見ると、よく、まア、あないな勇気が出たことや。後について来ると思《おも》たものが足音を絶つ、並んどったものが見えん様《よ》になる、前に進むものが倒れてしまう。自分は自分で、楯とするものがない。」
「そこになると、もう、
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