おまへもまた
家族のひとりだ
西瓜よ
なんとか言つたらよかんべ
おなじく
どうも不思議で
たまらない
叩かれると
西瓜め
ぽこぽこといふ
おなじく
みんな
あつまれ
あつまれ
西瓜をまんなかにして
そのまはりに
さあ、合掌しろ
おなじく
みんな
あつまれ
あつまれ
そしてぐるりと
輪を描《か》け
いま
眞二つになる西瓜だ
飴賣爺
あめうり爺さん
ちんから
ちんから
草鞋脚絆で
何といふせはしさうな
おなじく
朝はやくから
ちんから
ちんから
あめうり爺さん
まさか飴を賣るのに
生まれてきたのでもあるまいが
なぜか、さうばかり
おもはれてならない
おなじく
あめうり爺さん
あんたはわたしが
七つ八つのそのころも
やつぱり
さうしたとしよりで
鉦《かね》を叩いて
飴を賣つてた
おなじく
じいつと鉦を聽きながら
あめうり爺さんの
脊中にとまつて
ああ、一塊《ひとかたまり》の蠅は
どこまでついてゆくんだらう
二たび病牀にて
わたしが病んで
ねてゐると
木の葉がひらり
一まい舞ひこんできた
しばらくみなかつた
森の
椎の葉だつた
おなじく
わたしが病んで
ねてゐると
蜻蛉《とんぼ》がきてはのぞいてみた
のぞいてみた
朝に夕に
ときどきは晝日中も
きてはのぞいてみていつた
おなじく
蠅もたくさん
いつものやうにゐるにはゐたが
かうしてやんでねてゐると
一ぴき
一ぴき
馴染のふかい友達である
椎の葉
自分は森に
この一枚の木の葉を
ひろひにきたのではなかつた
おう、椎の葉である
ある時
どこだらう
蟇《ひき》ででもあるかな
そら、ぐうぐう
ぐうぐう
ぐうぐう
ほんとにどこだらう
いくら春さきだつて
こんなまつくらな晩ではないか
遠く近く
なあ、なあ、土の聲だのに
ほそぼそと
ほそぼそと
松の梢にかかるもの
煮炊《にたき》のけむりよ
あさゆふの
かすみである
こんな老木になつても
こんな老木になつても
春だけはわすれないんだ
御覽よ
まあ、紅梅だよ
梅
ほのかな
深い宵闇である
どこかに
どこかに
梅の木がある
どうだい
星がこぼれるやうだ
白梅だらうの
どこに
さいてゐるんだらう
おなじく
おい、そつと
そつと
しづかに
梅の匂ひだ
おなじく
大竹藪の眞晝は
ひつそりとしてゐる
この梅の
小枝を一つ
もらつてゆきますよ
山逕にて
善い季節になつたので
※[#「くさかんむり/刺」、第3水準1−90−91]《ばら》などまでがもう
みち一ぱいに匍ひだしてゐた
けふ、山みちで
自分はそのばらに
からみつかれて
脛をしたたかひつかかれた
ある時
まあ、まあ
どこまで深い靄だらう
そこにもここにも
木が人のやうにたつてゐる
あたまのてつぺんでは
艪の音がしてゐる
ぎいい、ぎいい
さうかとおもつてきいてゐると
雲雀《ひばり》が一つさへづつてゐる
これでいいのか
春だとはいへ
ああ、すこし幸福すぎて
寂しいやうな氣がする
ある時
麥の畝々までが
もくもく
もくもく
匍ひだしさうにみえる
さあ
どうしよう
ある時
うす濁つたけむりではあるが
一すぢほそぼそとあがつてゐる
たかくたかく
とほくの
とほくの
山かげから
青天《あをぞら》をめがけて
けむりにも心があるのか
けふは、まあ
なんといふ靜穩《おだやか》な日だらう
櫻
さくらだといふ
春だといふ
一寸、お待ち
どこかに
泣いてる人もあらうに
おなじく
馬鹿にならねば
ほんとに春にはあへないさうだ
笛よ、太鼓よ
さくらをよそに
だれだらう
月なんか見てゐる
お爺さん
滿開の桃の小枝を
とろりとした目で眺めながら
うれしさうにもつてとほつた
あのお爺さん
にこにこするたんびに
花のはうでもうれしいのか
ひらひらとその花瓣《はなびら》をちらした
あのお爺さん
どこかでみたやうな
ある時
あらしだ
あらしだ
花よ、みんな蝶々にでもなつて
舞ひたつてしまはないか
ある時
自分はきいた
朝霧の中で
森のからすの
たがひのすがたがみつからないで
よびかはしてゐたのを
ある時
朝靄の中で
ゆきあつたのは
しつとりぬれた野菜車さ
大きな脊なかの
めざめたばかりの
あかんぼさ
けふは、なんだか
いいことのありさうな氣がする
ある時
松ばやしのうへは
とつても深い青空で
一ところ
大きな牡丹の花のやうなところがある
こどもらの聲がきこえる
あのなかに
うちのこどももゐるんだな
朝
なんといふ麗かな朝だらうよ
娘達の一|塊《かたまり》がみちばたで
たちばなししてゐる
うれしさうにわらつてゐる
そこだけが
馬鹿に明るい
だれもかれもそこをとほるのが
まぶしさうにみえる
藤の花
ながながと藤の花が
深い空からぶらさがつてゐる
あんまり腹がへつてゐるので
わらふこともできないで
それを下から見あげてゐる
ゆらりとしてみろ
ほんとに
食べたいやうな花だが
食べられるものでないから
寂しいんだ
ある時
ばらばらと
雨が三粒
……けふは何日だつけなあ
ある時
木蓮の花が
ぽたりとおちた
まあ
なんといふ
明るい大きな音だつたらう
さやうなら
さやうなら
ある時
ほのぼのと
どこまで明るい海だらう
それでも溺れようとはせず
ちりり
ちりりり
ちどりはちどりで
まつぴるまを
鬼ごつこなんかしてゐる
野糞先生
かうもりが一本
地べたにつき刺されて
たつてゐる
だあれもゐない
どこかで
雲雀《ひばり》が鳴いてゐる
ほんとにだれもゐないのか
首を廻してみると
ゐた、ゐた
いいところをみつけたもんだな
すぐ土手下の
あの新緑の
こんもりした灌木のかげだよ
ぐるりと尻をまくつて
しやがんで
こつちをみてゐる
手
しつかりと
にぎつてゐた手を
ひらいてみた
ひらいてみたが
なんにも
なかつた
しつかりと
にぎらせたのも
さびしさである
それをまた
ひらかせたのも
さびしさである
ほうほう鳥
やつぱりほんとうの
ほうほう鳥であつたよ
ほう ほう
ほう ほう
こどもらのくちまね[#「くちまね」に傍点]でもなかつた
山のおくの
山の聲であつたよ
*
ほう ほう
ほう ほう
山奧のほそみちで
自分もないてる
ほうほう鳥もないてる
*
自分もそこにもゐて
ふと鳴いてるとおもはれたよ
ほう ほう
ほう ほう
*
ほう ほう
ほう ほう
ほんとうのほうほう鳥より
自分のはうが
どうやら
うまく鳴いてゐる
あんまりうまく鳴かれるので
ほんとうのほうほう鳥は
ひつそりと
だまつてしまつた
まつぼつくり
山のおみやげ
まつぼつくり
ぼつくり
ころころ
ころげだせ
お晝餉《ひる》だよう
鐵瓶の下さたきつけろ
讀經
くさつぱらで
野良犬に
自分は法華經をよんできかせた
蜻蛉《とんぼ》もぢつときいてゐた
だが犬めは
つまらないのか、感じたのか
尻尾もふつてはみせないで
そしてふらりと
どこへともなくいつてしまつた
蚊柱
蚊柱よ
蚊柱よ
おまへたちもそこで
その夕闇のなかで
讀經でもしてゐるのか
みんないつしよに
まあ、なんといふ莊嚴な
ある時
また※[#「虫+車」、第3水準1−91−55]《ひぐらし》のなく頃となつた
かな かな
かな かな
どこかに
いい國があるんだ
ある時
松の葉がこぼれてゐる
どこやらに
一すぢの
風の川がある
ある時
くもの巣
松の落葉が
いい氣持さうに
ひつかかつてゐる
あ、びつくりした
晝、日中
ある時
たうもろこしの花が
つまらなさうにさいてゐる
あはははは
だれだ
わらつたりするのは
まつぴるまの
砂つぽ畠だ
ある時
宗教などといふものは
もとよりないのだ
ひよろりと
天をさした一本の紫苑よ
ある時
うつとりと
野糞をたれながら
みるともなしに
ながめる青空の深いこと
なんにもおもはず
粟畑のおくにしやがんでごらん
まつぴるまだが
五日頃の月がでてゐる
ぴぴぴ ぴぴ
ぴぴぴぴ
ぴぴぴぴ
どこかに鶉がゐるな
ある時
こどもたちを
叱りつけてでもゐるのだらう
竹藪の上が
あさつぱらから
明るくなつたり
暗くなつたりしてゐる
ほんとに冬の雀らである
ある時
まづしさを
よろこべ
よろこべ
冬のひなたの寒菊よ
ひとりぼつちの暮鳥よ、蠅よ
ある時
その聲でしみじみ
螽斯《こほろぎ》、螽斯《こほろぎ》
わたしは讀んでもらひたいんだ
おまえ達もねむれないのか
わたしは
わたしは
あの好きな※[#「田+比」、第3水準1−86−44]尼母經《びにもきやう》がよ
ある時
まよなか
尿《せうべん》に立つておもつたこと
まあ、いつみても
星の綺麗な
子どもらに
一掴みほしいの
ふるさと
淙々として
天《あま》の川がながれてゐる
すつかり秋だ
とほく
とほく
豆粒のやうなふるさとだのう
いつとしもなく
いつとしもなく
めつきりと
うれしいこともなくなり
かなしいこともなくなつた
それにしても野菊よ
眞實に生きようとすることは
かうも寂しいものだらう
ある時
沼の眞菰の
冬枯れである
むぐつちよ[#「むぐつちよ」に傍点]に
ものをたづねよう
ほい
どこいつたな
りんご
兩手をどんなに
大きく大きく
ひろげても
かかへきれないこの氣持
林檎が一つ
日あたりにころがつてゐる
赤い林檎
林檎をしみじみみてゐると
だんだん自分も林檎になる
おなじく
ほら、ころがつた
赤い林檎がころがつた
な!
嘘嘘嘘
その嘘がいいぢやないか
おなじく
おや、おや
ほんとにころげでた
地震だ
地震だ
赤い林檎が逃げだした
りんごだつて
地震はきらひなんだよう、きつと
おなじく
林檎はどこにおかれても
うれしさうにまつ赤で
ころころと
ころがされても
怒りもせず
うれしさに
いよいよ
まつ赤に光りだす
それがさびしい
おなじく
娘達よ
さあ、にらめつこをしてごらん
このまつ赤な林檎と
おなじく
くちつけ
くちつけ
林檎をおそれろ
林檎にほれろ
おなじく
こどもよ
こどもよ
赤い林檎をたべたら
お美味《いし》かつたと
いつてやりな
おなじく
どうしたらこれが憎めるか
このまつ赤な林檎が……
おなじく
林檎はびくともしやしない
そのままくさつてしまへばとて
おなじく
ふみつぶされたら
ふみつぶされたところで
光つてゐる林檎さ
おなじく
こどもはいふ
赤い林檎のゆめをみたと
いいゆめをみたもんだな
ほんとにいい
いつまでも
わすれないがいいよ
大人《おとな》になつてしまへば
もう二どと
そんないい夢は見られないんだ
おなじく
りんごあげよう
轉がせ
子どもよ
おまへころころ
林檎もころころ
おなじく
さびしい林檎と
遊んでおやり
おう、おう、よい子
おなじく
林檎といつしよに
ねんねしたからだよ
それで
わたしの頬つぺも
すこし赤くなつたの
きつと、さうだよ
店頭にて
おう、おう、おう
ならんだ
ならんだ
日に燒けた
聖フランシス樣のお顏が
ずらりとならんだ
綺麗に列んだ
おなじく
錢で賣買されるには
あんまりにうつくしすぎる
店のおかみさん
こんなまつ赤な林檎だ
見も知らない人なんかに
賣つてやりたくなくはありませんか
おなじく
いいお天氣ですなあ
とまた
しばらくでしたなあ
おや、どこだらう
たしかにいまのは
榲※[#「木+孛」、第3水準1−85−67]《まるめろ》の聲だつたが……
底本:「日本現代文學全集54 千家元麿・山村暮鳥・佐藤惣之助・福士幸次郎・堀口大學集」講談社
1966(昭和
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