》かうとしてゐたので、一つはしばらく先生《せんせい》にもお目《め》に懸《かゝ》れまいと思《おも》つて。ああ、お孃《じやう》さんをみる、それが、而《しか》も最後《さいご》にならうとは!

あはれ白百合《しらゆり》
谿《たに》の百合《ゆり》
まだ露《つゆ》ながら、かつくりと
しほれて
頸《くび》を垂《た》れました

處女《をとめ》は
めされてゆきました
アイア
ポペイア
そして天國《みくに》へゆきました

 先生《せんせい》は奥樣《おくさま》と、夜晝《よるひる》、病床《ベツド》の側《そば》を離《はな》れませんでした。そして身《み》を碎《くだ》いて看護《かんご》をなされました。先生《せんせい》は「自分《じぶん》にかはれるものならば喜《よろこ》んで代《かは》つてやりたい」と沁々《しみ/″\》、その時《とき》、わたしに言《ゆ》はれました。それを聽《き》いた刹那《せつな》のわたしは、その神樣《かみさま》のやうなことを仰《おつしや》る先生《せんせい》を、心《こゝろ》の中《なか》で、手《て》をあはせて拜《をが》んでゐました。
 子《こ》をおもふ此《こ》の尊《たふと》い親心《おやごゝろ》! 親《おや》にとつて子《こ》ほどのものがありませうか。子《こ》どもは生《いのち》の種子《たね》であり、子《こ》どもは地《ち》を嗣《つ》ぐものであり、子《こ》どもは天《てん》の使《つかひ》であり。愛《あい》そのもの[#「そのもの」に傍点]であり、その子《こ》どもがあるから、どんな暗黒《あんこく》な時代《じだい》でも、未來《みらい》にひかり[#「ひかり」に傍点]を見《み》るのです。

 此《こ》の本《ほん》にあつめたものは、その二ツ三ツを除《のぞ》いて、みんなわたしの獨創《どくそう》による作品《さくひん》であります。

 わたしは今《いま》、此《こ》の本《ほん》を、小《ちひ》さい兄弟姉妹《けうだいしまい》達《たち》である日本《にほん》の子《こ》ども達《たち》に贈《おく》ります。また。その子《こ》ども達《たち》の親《おや》であり、先生《せんせい》である方々《かた/″\》にも是非《ぜひ》、讀《よ》んで戴《いたゞ》きたいのです。と言《い》ふのは、唯《たゞ》單《たん》に子《こ》ども達《たち》のためにとばかりでは無《な》く、わたしは此等《これら》のはなしの中《なか》で人生《じんせい》、社會《しやくわい》及《およ》
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