ん》でもあるのだが、その年代の調査は前同様|矢張《やは》り新しい部に属する。この話の中で注目を要するのは、その私の懇意にしている人の姉《あね》さんの婿さんたるべき人で、色々な事があるけれど、正真正味の骨だけ抜いて言うと、つまり銀行員で、この人のところへ嫁がくる。この嫁の問題で少し家内がごたごたする。男一人と女二人というような配合で、一人の女に気はあるが、他《た》の一人の女には左程《さほど》気が無く、それがごたごたの原因である。つまりこの銀行員たるべき人には、自分が大変想いを寄せている女が一人あって、それを嫁に貰いたい念《ねん》は山々であるのだが、その山々な念《ねん》に背《そむ》かなければならない。苦しい破目《はめ》もあるというのは、一人の六十あまりになるおばアさんの人があって、このおばアさんの考えでは自分の身内の或る人を嫁に入れようとする。が銀行員の婿さんはその女は厭《い》やなのだ。そして自分の好きな女と一緒になりたいのだ。この厭《い》やな女と好きな女と、何《いず》れに決するかという問題になった時、厭《い》やな女を遠去《とおざ》けて、好きな女を貰ってしまった。それが当年|六十路《むそじ》あまりのおばアさんとは、反目《はんもく》嫉視《しっし》氷炭《ひょうたん》相容《あいい》れない。何ということ無しにうつらうつらと面白く無い日を送って、そして名の知れない重い枕に就《つ》いた。おばアさんの言うには、これは皆|嫁女《よめじょ》のなさしむるところだと怨《うら》んで死んだ。
このおばアさんが死んでから後《のち》、どういうものかこの嫁も何と無く気がうつらうつらと重い枕に就《つ》く。そして臨終の期が近づいた。その瞬間である。上野の鐘がボーン……と鳴った。その鳴ると同時、おばアさんからは怨《うら》み抜かれて、そして今息を引き懸《か》けている嫁の寝ている天井の一方に当《あた》って、鼠ともつかず鼬《いたち》ともつかぬ物《もの》の化《け》の足音が響いた。そしてその足音は鐘の鳴った方面から始まったとまで、この話の観察は行届《ゆきとど》いている。そして鐘の音が一つボーン……と鳴ると、その怪しの足音は一方へ動く。また一つ鳴るとまた動く。そして嫁の寝ている胸の真上と覚《おぼ》しき処《ところ》まで、その足音が来たかと思う時、その死に瀕《ひん》した病人が跳《はね》ッ返《か》えるように苦悶《くもん》し始めた。臨終の席に列《つらな》った縁者の人々は、見るに見兼《みか》ねて力一杯に押えようとするけれど、なかなか手に終《お》えなかった。そして鐘の音《ね》の沈《しず》むと共に病人の脈も絶えた。意味を考えることは別問題として有《あり》の儘《まま》だけをお伝えする。これが鐘の響《ひびき》と女の死というような『上野の鐘』の大略《たいりゃく》で、十二時を報じた時の鐘であったという。
私もその家は音《おと》ずれてみたことがあるが、嫁の代《だい》が変ってからは何等《なにら》のことも無いような風である。真箇《まったく》妙なことがある。私の母の目を落《おと》す時は、私は家内と二人で母を看《み》ていたが、母の寝ている部屋の屋根の棟《むね》で、タッタ一声《ひとこえ》烏がカアと鳴いた。それが夜中の三時であった。時間の関係からいえば、上野の鐘が十二時で、この鳥の一声《ひとこえ》が三時だから、所謂《いわゆる》丑満刻《うしみつこく》というのでは無いが、どうもしかし穏《おだ》やかで無い。
底本:「文豪怪談傑作選・特別篇 百物語怪談会」ちくま文庫、筑摩書房
2007(平成19)年7月10日第1刷発行
底本の親本:「新小説 明治四十四年十二月号」春陽堂
1911(明治44)年12月
初出:「新小説 明治四十四年十二月号」春陽堂
1911(明治44)年12月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2008年9月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
沼田 一雅 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング