議を立てるようになった。もう一人の友達もこれには至極《しごく》同感で、実はその白い物が自分の目にも見えて、どうも気分が勝《すぐ》れないと言った。そこで早速《さっそく》下宿の主人を呼んで、この旨を聞き訊《ただ》すところまで話が進む。
 すると主人の話口《はなしくち》はこうなのである。イヤ実は私の家に、九州《きゅうしゅう》の人で、三年あまり下宿していた大学生があった。この大学生は東京《とうきょう》に在学中、その郷里の家が破産をして、その為《た》め学資の仕送りも出来ないようなわけになって、大変困る貧窮《ひんきゅう》なことになった。それにこの大学生は肺結核を煩《わずら》っていて、日に増し悲観な厭世《えんせい》に陥るようになった。あれやこれやで何処《どこ》か他《わき》へ宿替《やどがえ》をするようなことになった。その時主人は、幸い物置が空《あ》いている。あすこへ畳を敷いて勉強の出来るようにしてやるから、その代わり大《たい》して構い立《だ》ては出来ないが、自分の家にいる意《つもり》で、ゆっくり気長に養生でもしたらいいでしょうと、まア好意ずくで薦めた。そしてその物置へは多少の手入《ていれ》を加えて、つまり肺結核の大学生を置いてやることにしたという。或る日この大学生は縊死《いし》を遂《と》げた。
 その手入《ていれ》を加えた物置というのは、今の学生二人のいる表二階の一室《ひとま》で、人間の身の丈《た》けぐらいに白い光りの見ゆるのが、その大学生が縊死《いし》を遂《と》げた位置と寸分違わない。やっと葬送を済《すま》したのがつい二ヶ月程前であるが、折角《せっかく》手入《ていれ》を加えてただ空けておくのも何だから、お借し申したような次第であるが、さては左様でございますかという。これが『白い光り』と題した話の大略《たいりゃく》である。
 もう一つの『上野の鐘』は、岩村《いわむら》さんのお話しの『学士会院《ラシステキュー》の鐘』と好一対《こういっつい》とも云うべきで、少し故《ゆえ》あって明白地《あからさま》に名前を挙げるのは憚《はばか》りあるけれど、私の極《ご》く懇意な人のそのまた姉《あね》さんのそのまた婿さんの実話である。その場所は和泉橋《いずみばし》を入ったところの仲徒士町《なかおかちまち》とだけ言っておこう。今も住んでいるのが、つまり明々白地《あからさま》に言うのを憚《はばか》る所以《ゆえ
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