かつお》を、そんな一時に食ったので、途事《とちゅう》咽《のど》が渇《かわ》いて仕方がない、やたらに水を飲んだもので、とうとう翌日に下痢《げり》で苦しんだよ、それ故まあ、一時はおどかしてやったものの矢張《やはり》私の方が結句《けっく》負けたのかも知れないね。
これと同じ様な事が、京都《きょうと》に居《お》った時分にもあった、四年ばかり前だったが、冬の事で、ちらちら小雪が降っていた真暗《まっくら》な晩だ、夜、祇園《ぎおん》の中村楼《なかむらろう》で宴会があって、もう茶屋を出たのが十二時|過《すぎ》だった、中村楼の雨傘を借りて、それを片手にさしながら、片手には例の折詰を提《さ》げて、少し、ほろ酔い加減に、快《よ》い気持で、ぶらぶらと、智恩院《ちおんいん》の山内《さんない》を通って、あれから、粟田《あわだ》にかかろうとする、丁度《ちょうど》十楽院《じゅうらくいん》の御陵《ごりょう》の近処《きんじょ》まで来ると、如何《どう》したのか、右手《ゆんで》にさしておる傘《からかさ》が重くなって仕方がない、ぐうと、下の方へ引き付けられる様で、中々《なかなか》堪《こ》らえられないのだ、おかしいと思って、左の折詰を持った手で、傘《かさ》を持ってる手の下をさぐってみたが何物も居《い》ない、こいつまた何かござったなと、早速《さっそく》気がついたので、私はまた御陵《みささぎ》の石段へどっかと腰を下ろして怒号ったのだ、
「己《おれ》は貴様達に負ける男ではないから、閉口して、己《おれ》が今この折詰のお馳走を召上《めしあ》がるところを、拝見しろ」
といいながら、それを開けて、蒲鉾の撮食《つまみぐい》だの、鯛の骨しゃぶりを初めて、やがて、すっかり、食い終《おわ》ったので、
「折でも食え」
と投出《なげだ》して、やおら、起《た》って、また傘《かさ》をさして歩み出したが、最早《もう》何事もなく家に帰った、昔からも、よくいうが、こんな場合には、気を確《たしか》に持つことが、全く肝要の事だろうよ。
底本:「文豪怪談傑作選・特別篇 百物語怪談会」ちくま文庫、筑摩書房
2007(平成19)年7月10日第1刷発行
底本の親本:「怪談会」柏舎書楼
1909(明治42)年発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2008年9月22日作成
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