、塩、橘皮《きっぴ》、香料、牛乳等、時には葱《ねぎ》とともに煮るのであった。この習慣は現今チベット人および蒙古《もうこ》種族の間に行なわれていて、彼らはこれらの混合物で一種の妙なシロップを造るのである。ロシア人がレモンの切れを用いるのは――彼らはシナの隊商宿から茶を飲むことを覚えたのであるが――この古代の茶の飲み方が残っていることを示している。
 茶をその粗野な状態から脱して理想の域に達せしめるには、実に唐朝の時代精神を要した。八世紀の中葉に出た陸羽《りくう》(三)をもって茶道の鼻祖とする。かれは、仏、道、儒教が互いに混淆《こんこう》せんとしている時代に生まれた。その時代の汎神論的《はんしんろんてき》象徴主義に促されて、人は特殊の物の中に万有の反映を見るようになった。詩人陸羽は、茶の湯に万有を支配しているものと同一の調和と秩序を認めた。彼はその有名な著作茶経(茶の聖典)において、茶道を組織立てたのである。爾来《じらい》彼は、シナの茶をひさぐ者の保護神としてあがめられている。
 茶経は三巻十章よりなる。彼は第一章において茶の源を論じ、第二章、製茶の器具を論じ、第三章、製茶法を論じている(
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