儀式である。白人はわが宗教道徳を嘲笑《ちょうしょう》した。しかしこの褐色飲料《かっしょくいんりょう》は躊躇《ちゅうちょ》もなく受け入れてしまった。午後の喫茶は、今や西洋の社会における重要な役をつとめている。盆や茶托《ちゃたく》の打ち合う微妙な音にも、ねんごろにもてなす婦人の柔らかい絹ずれの音にも、また、クリームや砂糖を勧められたり断わったりする普通の問答にも、茶の崇拝は疑いもなく確立しているということがわかる。渋いか甘いか疑わしい煎茶《せんちゃ》の味は、客を待つ運命に任せてあきらめる。この一事にも東洋精神が強く現われているということがわかる。
ヨーロッパにおける茶についての最も古い記事は、アラビヤの旅行者の物語にあると言われていて、八七九年以後|広東《カントン》における主要なる歳入の財源は塩と茶の税であったと述べてある。マルコポーロは、シナの市舶司が茶税を勝手に増したために、一二八五年免職になったことを記録している。ヨーロッパ人が、極東についていっそう多く知り始めたのは、実に大発見時代のころである。十六世紀の終わりにオランダ人は、東洋において灌木《かんぼく》の葉からさわやかな飲料が造
前へ
次へ
全102ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡倉 覚三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング