歩を占めてはいるが。
 日本の茶の湯においてこそ始めて茶の理想の極点を見ることができるのである。一二八一年|蒙古《もうこ》襲来に当たってわが国は首尾よくこれを撃退したために、シナ本国においては蛮族侵入のため不幸に断たれた宋の文化運動をわれわれは続行することができた。茶はわれわれにあっては飲む形式の理想化より以上のものとなった、今や茶は生の術に関する宗教である。茶は純粋と都雅を崇拝すること、すなわち主客協力して、このおりにこの浮世の姿から無上の幸福を作り出す神聖な儀式を行なう口実となった。茶室は寂寞《せきばく》たる人世の荒野における沃地《よくち》であった。疲れた旅人はここに会して芸術鑑賞という共同の泉から渇《かわき》をいやすことができた。茶の湯は、茶、花卉《かき》、絵画等を主題に仕組まれた即興劇であった。茶室の調子を破る一点の色もなく、物のリズムをそこなうそよとの音もなく、調和を乱す一指の動きもなく、四囲の統一を破る一言も発せず、すべての行動を単純に自然に行なう――こういうのがすなわち茶の湯の目的であった。そしていかにも不思議なことには、それがしばしば成功したのであった。そのすべての背後には微妙な哲理が潜んでいた。茶道は道教の仮りの姿であった。
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     第三章 道教と禅道

 茶と禅との関係は世間周知のことである。茶の湯は禅の儀式の発達したものであるということはすでに述べたところであるが、道教の始祖老子の名もまた茶の沿革と密接な関係がある。風俗習慣の起源に関するシナの教科書に、客に茶を供するの礼は老子の高弟|関尹《かんいん》(一八)に始まり、函谷関《かんこくかん》で「老哲人」にまず一|碗《わん》の金色の仙薬《せんやく》をささげたと書いてある。道教の徒がつとにこの飲料を用いたことを確証するようないろいろな話の真偽をゆっくりと詮議《せんぎ》するのも価値あることではあるが、それはさておきここでいう道教と禅道とに対する興味は、主としていわゆる茶道として実際に現われている、人生と芸術に関するそれらの思想に存するのである。
 遺憾ながら、道教徒と禅の教義とに関して、外国語で充分に表わされているものは今のところ少しもないように思われる。立派な試みはいくつかあったが(一九)。
 翻訳は常に叛逆《はんぎゃく》であって、明朝《みんちょう》の一作家の言のごとく、よくいったところでただ錦《にしき》の裏を見るに過ぎぬ。縦横の糸は皆あるが色彩、意匠の精妙は見られない。が、要するに容易に説明のできるところになんの大教理が存しよう。古《いにしえ》の聖人は決してその教えに系統をたてなかった。彼らは逆説をもってこれを述べた、というのは半面の真理を伝えんことを恐れたからである。彼らの始め語るや愚者のごとく終わりに聞く者をして賢ならしめた。老子みずからその奇警な言でいうに、「下士は道を聞きて大いにこれを笑う。笑わざればもって道となすに足らず。」と。「道」は文字どおりの意味は「径路」である。それは the Way(行路)、the Absolute(絶対)、the Law(法則)、Nature(自然)、Supreme Reason(至理)、the Mode(方式)、等いろいろに訳されている。こういう訳も誤りではない。というのは道教徒のこの言葉の用法は、問題にしている話題いかんによって異なっているから。老子みずからこれについて次のように言っている。
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物有り混成し、天地に先だって生ず。寂《せき》たり寥《りょう》たり。独立して改めず。周行して殆《あやう》からず。もって天下の母となすべし。吾《われ》その名を知らず。これを字《あざな》して道という。強《し》いてこれが名をなして大という。大を逝《せい》といい、逝を遠といい、遠を反という。
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「道」は「径路」というよりもむしろ通路にある。宇宙変遷の精神、すなわち新しい形を生み出そうとして絶えずめぐり来る永遠の成長である。「道」は道教徒の愛する象徴|竜《りゅう》のごとくにすでに反《かえ》り、雲のごとく巻ききたっては解け去る。「道」は大推移とも言うことができよう。主観的に言えば宇宙の気であって、その絶対は相対的なものである。
 まず第一に記憶すべきは、道教はその正統の継承者禅道と同じく、南方シナ精神の個人的傾向を表わしていて、儒教という姿で現われている北方シナの社会的思想とは対比的に相違があるということである。中国はその広漠《こうばく》たることヨーロッパに比すべく、これを貫流する二大水系によって分かたれた固有の特質を備えている。揚子江《ようすこう》と黄河《こうが》はそれぞれ地中海とバルト海である。幾世紀の統一を経た今日でも南方シナはその思想、信仰が北方の同胞と異なること、ラ
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