のを除いては、新しく得られたらしい物はすべて厳禁せられている。茶室や茶道具がいかに色あせて見えてもすべての物が全く清潔である。部屋《へや》の最も暗いすみにさえ塵《ちり》一本も見られない。もしあるようならばその主人は茶人とはいわれないのである。茶人に第一必要な条件の一は掃き、ふき清め、洗うことに関する知識である、払い清めるには術を要するから。金属細工はオランダの主婦のように無遠慮にやっきとなってはたいてはならない。花瓶《かびん》からしたたる水はぬぐい去るを要しない、それは露を連想させ、涼味を覚えさせるから。
これに関連して、茶人たちのいだいていた清潔という考えをよく説明している利休についての話がある。利休はその子|紹安《じょうあん》が露地を掃除《そうじ》し水をまくのを見ていた。紹安が掃除を終えた時利休は「まだ充分でない。」と言ってもう一度しなおすように命じた。いやいやながら一時間もかかってからむすこは父に向かって言った、「おとうさん、もう何もすることはありません。庭石は三度洗い石燈籠《いしどうろう》や庭木にはよく水をまき蘚苔《こけ》は生き生きした緑色に輝いています。地面には小枝一本も木の葉一枚もありません。」「ばか者、露地の掃除はそんなふうにするものではない。」と言ってその茶人はしかった。こう言って利休は庭におり立ち一樹を揺すって、庭一面に秋の錦《にしき》を片々と黄金、紅の木の葉を散りしかせた。利休の求めたものは清潔のみではなくて美と自然とであった。
「好き家」という名はある個人の芸術的要求にかなうように作られた建物という意味を含んでいる。茶室は茶人のために作ったものであって茶人は茶室のためのものではない。それは子孫のために作ったのではないから暫定的である。人は各自独立の家を持つべきであるという考えは日本民族古来の習慣に基づいたもので、神道の迷信的習慣の定めによれば、いずれの家もその家長が死ぬと引き払うことになっている。この習慣はたぶんあるわからない衛生上の理由もあってのことかもしれない。また別に昔の習慣として新婚の夫婦には新築の家を与えるということもあった。こういう習慣のために古代の皇居は非常にしばしば次から次へとうつされた。伊勢《いせ》の大廟《たいびょう》を二十年ごとに再築するのは古《いにしえ》の儀式の今日なお行なわれている一例である。こういう習慣を守るのは組み
前へ
次へ
全51ページ中27ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡倉 覚三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング