て羽根を持つた生物の姿に変へた。「最後の日まで盲目と暗黒の中に住み、永久にのろはれてゐよ」と、「誇り高き父」が言つたさうである。それで「黄昏《たそがれ》の逡巡者《ためらふもの》」は手も足も萎え、眼も見えず、恐れ、うたがひ、ためらひながら、幽霊のやうな声で「死ぬ日まで、死ぬ日まで」と泣きさけびながらさまよひ飛ぶのださうである。
 アルガイルの或る地方では、蝙蝠は鷲の三代、鹿の六代、人間の九代を生きると言つてゐる。もつと詩的でない正確さで勘定した人があつて、蝙蝠のあの逃げまはる時間が十三年で、一生の全部は三十三年だと言つた。また平均して二十一年のいのちだといふ人がある。リスモルの島から来た漁師の話では「蝙蝠の齢ですか? それはユダがキリストに接吻して敵の手に渡したその時のユダの齢と同じで、それより若くもなければ年寄でもないんです」と気やすく答へた。どの人もはつきりしたことは言へないらしい。
 ある園丁の話したことでは、人間の齢の勘定をするのには、まづ蛙の齢は鰻の齢の二倍、蝙蝠の齢は蛙の齢の二倍、鹿の齢は蝙蝠の齢の二倍、それに十年を加へると普通の人間の齢になるといふ話。鰻の齢が大てい七年から七年半ぐらゐ、蛙はまづ十五年ぐらゐ、蝙蝠は三十年ぐらゐ、鹿は六十年ぐらゐ。この話をきかせた人は、はてな、鹿ではなく、鷲だつたかもしれないよ、と言つた。
 中国の美しい織物やじうたんには、いつでも蝙蝠が現はされてゐる。福[#「福」に傍点]といふ字の連想からかそれとも別の伝説があるのか、いろいろさまざまの色で模様化された蝙蝠が典雅な富貴な姿に現はされてゐる。中国の蝙蝠は福であり、うらぎりものユダの連想なぞとはおよそ天地の遠さよりも、もつと遠いものであらう。日本では、蝙蝠はうらぎりものでもなく、めでたい福でもなく、ただ実在の夏の生物として夕涼みのとりあはせ位に思はれてゐるが、善でも悪でもなく、美でも醜でもないやうである。たぶん虫めがねで見たら醜怪な姿のものかもしれない。この世に蝙蝠はゐてもよろしいが、無くてもけつこうである。



底本:「燈火節」月曜社
   2004(平成16)年11月30日第1刷発行
底本の親本:「燈火節」暮しの手帖社
   1953(昭和28)年6月
入力:竹内美佐子
校正:林 幸雄
2009年8月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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