たくであると言つてゐたから、片道だけ車にのるのは母の親切によつたので、そんな風にして先生のお宅に通ふといふことはよほど歌が好きだつたためで、つまり文学少女なのだつた。
 また或る日は小川町から神保町を通り賑やかな店々を見て――その中でも半襟屋をのぞくことは愉しかつた。本屋はのぞかなかつたやうである――それから九段坂をのぼり、お堀ばたを歩いて半蔵門や麹町通りを横眼に見ながらだらだら坂に来てから右に折れて、麹町隼町に出る、そのつぎが永田町の高台だつたと思ふ、こんな事を考へてゐると車屋さんか運転手みたいだけれど、じつによくも歩いた、一時間と二十分ぐらゐの道であつた。(この中に神田の店々をのぞく時間もはいつてゐる。)むろん晴天の日ばかりであつたが、雨の時お休みしたのかどうか、はつきり覚えてゐない。
 さてそんなに遠路を歩いて、下駄はどんな物を履いてゐたか、履物のことは少しも思ひ出せない。どうせふだんの物だから立派な品ではなかつたらうけれど、表がついてゐたかどうかも忘れてしまつた。履物はいつも母が自分のや私たち姉妹のを一しよに赤坂の平野屋で買つて来たやうだつた。その時分は草履は流行でなかつたから
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