て焼けた親類や友人の見舞をすることもあつた、これは気だけで歩いたのだ、しばらく軽井沢に暮してゐた私は駅から旧道の宿屋までの一本道をたびたび往復した。いつも重い荷物を持つてゐたが、夜の軽井沢の道はそれほど遠いとも思はなかつた。わかい人を連れにしてゐたせゐで、散歩してゐるやうな気持でもあつたらしい。
ある忙しい家庭の奥さんが話したことだが、足が動いてゐる時には悪い智慧なぞは少しもうごかない、のんびりと自然の中の生物の一つとして動いて行く。人間は坐つてゐる時や寝てゐる時いろいろな考へごとをするので、長く寝てゐる人は賢こい悟りをひらいたり、或る時は意地のわるい遺言状を書いたりするのだと言つてゐた。ほんとにさうなのだらうと思つて聞いた。
底本:「燈火節」月曜社
2004(平成16)年11月30日第1刷発行
底本の親本:「燈火節」暮しの手帖社
1953(昭和28)年6月
入力:竹内美佐子
校正:林 幸雄
2009年8月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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