一首の悲しみは彼女一生のあひだに詠んだといはれる数万首の歌の中にもほかには見出されまいと思はれる。天才と意欲に満ちた彼女が一人となつて老を感じたのであつた。それは私たち誰でもが感じる老とは異つたものである。
(ほかの女歌人たちがみんな伝説であるのに、私のために與謝野晶子だけは伝説ではない。私の姪が彼女の学校に在学してゐたから、私は父兄の一人で、その私に彼女はいつも率直に物を言はれた。師と弟子の間柄ではなく、友人ではなく、社交の仲間でもなく、あつさりと親切に、ごく普通の話をされた。こだはりのない若々しい勇敢な彼女を知つてゐて、この悲しみの一首を読むことは堪へがたい気持がする。)さて私はこの国に曾て生き、そして死んだ二人の女歌人の歌を比べるためでなく、ただ好ましさに書き並べてみたのである。何時この世に送られるか分らない天才は又いつかは生れて来るだらう、その日は遠くても近くても。
底本:「燈火節」月曜社
2004(平成16)年11月30日第1刷発行
底本の親本:「燈火節」暮しの手帖社
1953(昭和28)年6月
入力:竹内美佐子
校正:林 幸雄
2009年8月17日作成
2009年10月10日修正
青空文庫作成ファイル:
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