歩いても氷川様よりは平地がすくないから落着かない感じだつた。星が岡茶寮のあの家がない時分、あそこはただ樹木だけの籔であつたのか、それとも宮司さんの住居があつたのか、何も覚えてゐない。いくつもの茶店のうちの一軒でお茶を飲みおだんごを食べる、婆やさんがおてうもくと呼んでゐる大きい銅貨を二つ三つ出してお菓子をいくつも買ひ、十銭位のお茶代を置いた。それは相当に使ひぶりの好いお客であつたのかもしれない。
 帰りには歩きやすい広い段々を下りて表門の麹町の方の小路から帰つて来て泥水のお池のところまでくる。渡し賃を払つてお舟に乗ると船頭さんは棹をううんと突つぱりお舟が出る。ひろい池の向うの岸には大勢の客が舟の着くのを待つてゐて、そして泥水のそこいらじうに蓮の葉があつたやうに覚えてゐる。岸についてから、弟と妹は大人の背中があるけれど私だけはいやいやながら歩いて、今の黒田家の前あたりを通り、箪笥町から谷町をまがつて鹿島《かじま》といふ大きな酒屋の前から右へだらだら坂を上がり、麻布三河台のかどの私の家までたどるのである。ずゐぶんよく歩いたものだとをさないものの小さい足を今あはれに思ひやる。とほい過去はすべて
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