社交夫人で内外の食通であつたけれど、こんなやうな不断のお八ツはごぞんじなかつたやうに、砂糖でころす時間なぞ悉しく訊かれた。そんなことの後で私はふいと奇妙な感じを持つた。桃をこまかく切つて砂糖をかけて置くことは私の父が好物で、麻布の家のうら畑に一ぽんの桃があつたのが熟すとすぐ採つて小さくきざんで砂糖をかけて私たちみんなで食べた。それは古くからの日本桃で実も小さく、水蜜の熟さないもののやうに青白い色をして、しんに近いところが天津のやうに紅い色だつた。その時分はそんな桃でも、さうして味をつけ加へれば非常においしく、父が外国でさういふ風にして食べなれて来たものと思ひこんで、母に何もそんなことは訊かなかつた。しかし、ひよつとしたら、これは外国風のたべ物でなく、父と母の郷里の埼玉風のたべ方だつたのかもしれない。私の母や婆やなぞは迷信のやうに砂糖の効力を信じて、どんな酸つぱい物でも生水でも砂糖でころせば決してお腹にさわることがないと言つてゐた。おぼんの季節に下町の人たちが訪ねて来ると、まづ第一に深井戸の水を汲んで砂糖水にしてお客にコツプ一杯御馳走した。明治の或る年、コレラが流行した夏でも砂糖水なら大丈夫ですと言つて、どこまでも砂糖の殺菌力を信じてゐたやうである。それゆゑ砂糖でころす[#「ころす」に傍点]といふ言葉もあるひは田舎なまりかもしれない。ころす[#「ころす」に傍点]といふ字を辞書で見ると、「死なせる 命を断つ 圧しつけて小さくする 殺《そ》ぐ 減らす 抑へつけ十分に活動させない 質物を流す」等である。しかし魚を酢でころす[#「ころす」に傍点]といふやうな事はよく聞いてゐるから、あるひは民間にゆるされた言葉であつて、あながち田舎に限つたことでないのかも知れない。これは桃に砂糖をかける話からその歴史に疑ひを持つた私ひとりの内しよ話。
 さて麻布の家の桃の連想から麻布谷町のある仕立屋さんの庭の林檎を思ひ出す。その麻布谷町といふところは今の箪笥町の近辺である、今でもその名の町はあるのだらうが、片側に氷川台の高い崖地があり、向うは霊南坂から市兵衛町につづく高台で、そのあひだに谷の如く横たはるきたないまづしい町で、その時分には溜池の方から六本木に出る今の大道路は影もなかつた。谷町といふ名の現はすやうにそこは陰気な感じの裏町で、自分たちの住む高台の町とは遠い世界のやうに子供心にも思つて
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