々に初めて春が来るとき、そのとき聖女ブリジツトの来る前兆が見える。それはたんぽぽ、仔羊、海鳥、普通に都鳥とよばれてゐる鳥どもである。昔のむかしの何時からともなく、春がくれば先づ路傍に黄いろい花を咲かせるたんぽぽ、これが聖女ブリジツトの花とされてゐる。二月のブリジツトの季節になると羊飼たちは霧の中におびただしい仔羊どもの鳴き声をきくことがある、それに牝羊の声が交つてゐない時、それは聖女がそこを通られたしるしだと彼等は信じてゐる、聖女はやがてこの地上の丘にも野にも生れ出ようとする無数の仔羊どもを連れて通られるのださうである。西海岸や遠い沖の離れ島に住む漁師たちは「牡蠣捕《かきと》り」と呼ばれ都鳥とも言はれる海鳥のくりかへし鳴く声をひさしぶりに聞く時、よろこび勇む。それはすばらしい魚の大群がこの浜に近寄つてくる先ぶれで、それにつれて南風も吹き、僅かながら青い色が草の上に見えてくるし、どこからか小鳥らが籔を探してくる。さうすると鳥どもの歌も聞えて、地上のどこにも新しい歓びが来る。「浜辺の聖女ブリジツト」が顕はれたしるしである。
「旅びとの歓び」といふ別の名を持つてゐる路傍の黄いろい花のたんぽぽを聖女は胸にさす、彼女がその花を明るい空気の中に投げるとき、みどりの世界が現はれる。
北と東の灰色の風を吹きつける沖のさびしい島で生きることは容易ではない、一本の流れ木も一つかみの泥炭も、異つた種類の小魚の入り交つた獲物も、どれもみんな悲しいほど尊い必需品である。その海岸にギルブリード(ブリードの僕)と鳴く海鳥の声をきく時、島びとは生き返へるやうな歓びを感じる。海鳥はするどい高い声でギルブリード ギルブリードとくりかへして鳴く、聖女がそのとき浜を歩いて行かれる。それは荒い海岸や孤島の話である。もつと豊かな農村の家庭でも、女たちはこの「二月の美しい女」黄いろい髪の親切な聖女にお祈りをする。聖女はをさないものの揺籠の上に身を屈める。赤んぼが微笑する時、母親は聖女の顔をまのあたり見るのだといはれる。
今、私は寒さの中にちぢこまつて、もう幾日したら春が立つかと指折りかぞへて二月の初めを待ちながら、遠い西の国にむかし生れた二月のむすめブリードを思ひ出した。二月二日の祝日《いわひび》だといふ燈火節のことも考へた。
底本:「燈火節」月曜社
2004(平成16)年11月30日第1刷発行
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