ぐ売れてたつた一足残つたのだと店で言つてゐた。この雑貨店は古着、洋服、シヤツ、シヤベル、靴、婦人用の日傘まで並んでゐた。その隣りがこの町いちばんの菓子屋なのだが、もう夜だから干菓子しかなかつた。
 コンクリの段々を上がつて高いホームに電車を待つてゐると、まぶしく明るい灯の港である。むかし在原の業平が河原の左大臣の家を訪ねると「みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに」の歌を詠んだこの左大臣は塩釜の土地の景色を庭に作つてゐた。業平はその庭を見て「塩釜にいつか来にけむ朝なぎに釣りする舟はここに寄らなむ」と一首の歌を詠んで家のあるじに敬意を表したといふ話である。その河原の左大臣|源融《みなもとのとほる》はわかい時分に陸奥の按察使《あぜち》として行かれた土地の中でも、この港の景色を殊に恋しく思ひ出されてその豪しやな河原の院の庭を作つたのであらう。広い池には毎月三十石の潮を難波から汲み運ばせ、魚や貝類を住ませ、塩釜を作つて汐をやかせたといふほどの心の入れ方であつた。その頃のこの港はどんなに明るくどんなに寂しく、漁師たちの小舟がのどかに出入りしてゐたことであらう。塩をやく煙もうすく見えてゐたらう。さう思つて私はこの賑やかな港を見てゐた。
 この日あるき廻つて少しくたびれたのでその後二三日は遠くへは出ずにゐた。
 市内の三越支店と藤崎デパートにはもう東京に見えなくなつた物がまだ沢山並んでゐた。鐘紡の仙台支店は銀座のつながりのやうにモダンで、自慢の食堂はだんだん貧しく苦しくなりつつある国に一つ残された休息所のやうに思はれて、私はたびたび行つて見た。それはランチやコーヒーや洋菓子だけのためではなく、過去につながる豊かな物への悲願でもあつたらうか。一ばん好ましく思つたのは丸善の店。本や雑誌は残りすくなくなつてゐたが、洋品雑貨、石けんでも香水でもおしろいでも、スートケース、銀貨入、かうもり、日傘、何もかも外国のにほひのする物ばかり、いくさの国が一息に粉砕してしまひさうな物ばかりで、それを見るほどに、手に持つて見るほどに、だんだんかなしくなつて来た。旅費の都合がゆるさないから、小さい香水ぐらゐをKにおみやげに買つただけであつた。
 少し遠いけれど、ふんぱつして中尊寺に行つて見ませうと言はれて、非常に遠いところにゆくやうな気持で出かけた。汽車はからつぽのやうにすいてゐた。もうこの辺から岩手県といふあ
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