時に、墓の中から大蛇がいくつもいくつも出て来て敵兵を無数に咬み殺したといふ伝説があつて、この辺が蛇田と呼ばれるやうになつた。ただの田圃とすこしも変りはない、その蛇田の向うの松原に田道《たぢ》の石碑が立つてゐる。電車の中から礼をした。
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をはり悲しく田道《たぢ》将軍が眠りいます蛇田よけふは秋の日のなか
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石の巻の町に近くなつてくると、その辺の道や畑いちめんに魚が乾してあり、肥料にするのださうで、奇妙なにほひが潮風と一しよに流れて空にまでにほつてゆきさうである。漁師の家はみんな裕福さうで、明るく静かで、庭の石垣の下まで海が来てゐる。せまい庭に樹はなく、大ていの家に白い菊と黄いろい菊がいつぱい咲いてゐた。これはみんな食料だといふ話。電車にはかなりたくさん乗つてゐたのだけれど、駅で下りるとその人たちは二人づれ三人づれ何処ともなく散つて、私たちはたつた二人だけで歩いて行つた。塩釜の町ほどの賑やかさはなく、もつと古代のにほひがするやうに感じた。この町の大通りである賑やかな一本みちを行つて又帰つて来るとき、Fは持つて来た小さいお重《じう》に鯛のきりみや牡蠣を買つた。なにしろ魚の町であるから私が大森までみやげに持つて帰れさうな物は何も見えなかつた。
駅に近い方に戻つて来て日和山《ひよりやま》に行つてみた。だらだら坂ののぼり口に桜の樹が沢山かたまつて立ち、わくらはの落葉がすこしづつ散つてゐる時であつた。私たちより少し先きに五六人の青年が、これも見物人らしく歩いて行き、明るい広い感じの丘であつた。いちばん高い所には鹿島御子神社がまつられてあつた。見わたす太平洋の波はまぶしく光り、はるかな沖の方で空の光と一つに溶けて無限に遠い海のあなたを思はせた。石の巻の港、むかしの伊峙《いし》の水門《みなと》である。
「日和山《ひよりやま》のうら山に、小野の小町のお墓があるつて、ほんとでせうか?」と訊いたが、Fも知らず、茶店の人も知らなかつた。「小町は、たぶんこの辺までは来ないのでせう。もし本当にみちのくまで帰つて来ても、もつと向うの方でせうね」と彼女は言つたが、あの辺にしろ、この辺にしろ、みちのくは限りなくひろい山野である。小町はふるさとの土を踏むため果してどの辺まで歩いて来たのだらうか? 何か心のゆかりを求めての旅であつたと思はれる。この日めづらし
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