なく持つてゆくので、クヅ鉄屋に売る彼等の荷物は大へんな値になるといふ話も聞いてゐる。彼等もお勝手道具の鍋釜や火ばしまで浚つて行くのではなく、鉄クヅだけを目あてにしてゐる。毎日売り込まれるその鉄クヅはまた専門の金物会社か工場に売られて新しい金物製品となつて世間にうり出される。新製品が高く売れるから、会社の方ではクヅ鉄の類も高く買ふ、売る方でも高く買つてもらへるから、よその物を失敬してまでも沢山に持ちこむのであらう。そしてさういふ金物製品ばかりでなく、すべての物価がどんどん高くなるから、自然みんなの生活費も足りなくなるわけである。くり返してゐれば、これは何処まで行つてもきりがない。
 鉄クヅの泥棒だけで政治を批評するのは無理かもしれないが、政治にあづかる人たちは一片のクヅ鉄のゆくへについても多少の智識は持つてゐて欲しい。落ちたるは拾はずといふ聖《ひじり》の御代は遠いむかしの事で、今は国もまづしく民もまづしく政治もまづしく、宗教も教育もすべて無力である。私たちのためにはどこからも救ひが来ないやうな気がするけれど、救ひは来ると信じよう。私たち一人一人の心の持ち方からでも救ひは来ると信じよう。窮すれば通ずといふ言葉は世の中の人たちが長い経験をかさねて悟り得た常識である。ゆきづまつて、どうにも動かない時に、うごかうとする動かさうとする生命をかけての努力が動かすのである。少し動きまたすこし動き、ぐつと回転した時に行きづまりの現在は回転して過去となり、あたらしい明日が来るのである。



底本:「燈火節」月曜社
   2004(平成16)年11月30日第1刷発行
底本の親本:「燈火節」暮しの手帖社
   1953(昭和28)年6月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:竹内美佐子
校正:林 幸雄
2009年8月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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