もある。
 やがて梨と葡萄が出て、青い林檎もみえ、秋が来る。キヤベツ、さつまいも、南瓜、栗や柿。それに松茸の香りが過去の日本の豊かさや美しさを思ひ出させる。
 八百屋の口上みたいに野菜と果物の名をならべて、さて困つたのは、牛蒡とにんじん、どの季節に入れようか? お惣菜に洋食に、花見のお弁当に、正月のきんぴらに、殆ど一年ぢうの四季に渡つてたべつづけてゐる。あの牛蒡の黒さ、にんじんの赤さ、色あひだけでもにぎやかで、味がふくざつである。それから書きわすれたのは、八月の西瓜。グラジオラスの花に似たうす紅色ととろけるやうな味覚。口のなかでとけてしまふものはアイスクリームやシヨートケーキもあるけれど、あの甘いさわやかな味が水のやうに流れてしまふことがはかない気持になる。戦争を通つて生きて来た私はそんなに物惜しみするやうにもなつた。ずつと前に親しくしてゐたB夫人は西洋と日本の料理を器用にとり交ぜて私たちに御馳走した。
 四季の折々B夫人の家には四五人のお弟子が招待されて、何時もビフテキパイの御馳走であつた。夫人はアメリカから一人で日本に来て家庭の奥さんたちに英語や作法を教へ、大使館の事務の手伝もしてゐた。その時分私はさういふ家に出入りするやうな閑な身分であつた。戦争の始まるより十年以上も前で、古い話である。
 B夫人はビフテキパイが好きで、日本人のコツクさんも夫人の味加減を心得て上手に作つてゐた。奥さんたちをランチによぶ時はいつもビフテキパイを主食に、あとは細かい物をつけ合せにした。はじめて呼ばれた時は秋で、晴ばれしたお昼どき。スープは蛤を白汁で煮たもの、それから大皿のビフテキパイ。ビーフは香ばしい香料と松茸でいり煮したものを、パイの皮に幾重にもはさんで焼いたもの。夫人はそれを幾つにも切つて客の皿に盛り、小物の皿をまはしてみんなが自由に取り分けた。小さい角きりの魚をてり焼らしく見せたもの(味は洋風)一口茄子の油煮、ずゐきの白ごま酢(サラダ代り)クツキースとコーヒ。それだけで、ほんとうのソーザイランチだと夫人は言つた。パイを何度もお代りして私たちみんな満腹したのを覚えてゐる。
 次に招かれたのは春、スープは日本流の茶碗むし、白魚が一ぱい入つてゐた。ビフテキパイには初ものの生椎茸が混つてゐた。お魚はなく、揚ものは慈姑のおろしたのを玉子と交ぜて黄いろくあげた物。竹の子や蓮根をうま煮の色
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