郷愁がアイルランド文学の上に落ちて行くのを、吾ながらあはれにも感じるけれど、今の時節には何でもよい、食べる物のほかに考へることができるのは幸福だと思ふ。ケルト文学復興に燃えた彼等の夢と熱とがすこしでも私たちに与へられるならば、そしてみんなが各自に紙一枚ほどの仕事でもすることが出来たならばとおほけなくも思ふのである。
馬込の家で空襲中は土に埋めて置いた本の中に、むかし私が大切にしてゐたグレゴリイの伝説集も交つてゐた。先だつてその本を届けて貰つたので、アメリカの探偵小説位しかこの小さい家に持つて来なかつた私は、久しぶりに「ありし平和の日」の味を味はふやうにその二三の本をよみ返した。世の中が変り自分自身も、まるで変つたのであらう、その伝説を読んでも物の考へかたが昔とは違つて来た。
たとへば、ホーモル人の王、「毒眼のバロル」はアイルランドの海岸に近い島にガラスの塔を建ててその中にとぢこもり、その毒眼で海を行く船を物色して掠奪する。そんな話をむかし読んだ時には大西洋の波の中にみえ隠れするガラスの塔に朝日夕日が映るけしきを考へて、すばらしいものに思つたりした。今はまるで違ふ。はて、このガラスは
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