る。絵の方は少しも知らないから私には何も言へないが、自分の好む道、短歌の中ですこしばかりこの色別けをしてみようと思つた。古歌についてである。現代の歌の色彩はかなり強いものがあるやうだけれど、古歌の色はすべて淡い。そして一つの色でなくいくつもの陰影や感じがふくまれて別の色に見えることもある。織物に玉虫いろといふのがある、それに似てゐる。
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「石ばしる垂水《たるみ》の上のさ蕨のもえいづる春になりにけるかも
「春日野の雪間をわけて生ひ出づる草のはつかに見えし君かも
「水鳥の鴨の羽のいろの春山のおぼつかなくも念ほゆるかも
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 これはまだ春浅い日ごろ、青といへないほどのうす黄の色、白も青もある。いはゆるケルトの暦の、自然が虹を織るといつた「希望の月」二月のほの温かいものがふくまれてゐる。
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「わが背子が見らむ佐保道《さほぢ》の青柳を手折りてだにも見むよしもがも
「春の野に霞たなびきうらがなしこの夕かげにうぐひす鳴くも
「春日野《かすがぬ》に煙立つ見ゆをとめらし春野の菟芽子《うはぎ》採みて煮らしも
「春の野に董摘まむと来し吾ぞ野をなつかしみ一夜|宿《ね》にける
「春の苑《その》くれなゐ匂ふ桃の花した照る道にいで立つをとめ
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 これは青と紅、うす紅、紫である。霞でさへも白くはない、うす紫であらうか、草を焼く煙も純粋に白ではない。すべて柔かい、暖い春の色である。日本には椿と桃より濃い色の春の花はなかつたやうに思はれる。
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「ほととぎすそのかみ山の旅にしてほの語らひし空ぞ忘れぬ
「卯の花の咲ける垣根に時ならで我が如ぞ鳴く鶯の声
「朝《あした》咲き夕《ゆふべ》は消ぬる鴨頭草《つきくさ》の消《け》ぬべき恋も吾はするかも
「住吉《すみのえ》の浅沢小野の杜若衣に摺り着けきむ日知らずも
「妹として二人作りし吾が山斎《しま》は木高く繁くなりにけるかも
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 ほととぎすが鳴いた山の旅では、夏山の青い色ばかりではない、ほのかに話をしてゐた時、空は夕ばえの紅《べに》であつたらうか? あるひは空のしらみ明けてゆく暁ごろのうすいピンクであつたらうか? 月の光もなく夜の暗さも見えないから、夜ではないと思ふ。卯の花は白く、鴨頭草《つきくさ》は青く、かきつばたはうすい紫、あるひ
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