のない化粧台みたいな棚があつて、小さいタオルのおぼんと櫛やブラシが載せてあり鏡は楕円形のものが掛つてゐた。それから入口の扉に近い壁の小棚には蝋燭立にふとい蝋燭を立てたのが置いてあつた。
その取付《とつつき》の床は一面にじうたんが敷いてあり、細かい赤い花と黒い葉の模様で、小花の薔薇であつたやうに思はれる。そのじうたんを上草履で踏んで右手の壁のまん中にある三尺巾の引戸を開けると、そこが本当のお手水場《てうづば》であつた。西にやや高い窓がずうつと一間だけ通して開いてゐた。泥棒用心に荒い竹の格子があつたやうに思ふ。その窓に向つて応接間寄りの壁に、横に長い六尺の腰掛が壁から壁まであつて奥ゆきは二尺五寸ほどもあつたであらうか、床《ゆか》と同じ赤い小花のじうたんが敷きつめてあり、その真中に孔があつて黒ぬりの円い蓋がしめてあつた、そこで腰かけて用をすますのである。腰かけると右手に硯箱みたいな浅い箱があつて紙が入れてある。左手の壁には軽々とした棚があつて何か横文字の絵入雑誌が一二冊置いてあつたやうだ。
私なぞの思ひ出せない小さい時分にその西洋間とお手水場《てうづば》が新築されたのだから、父がわかくてニューヨークから帰つて来た時分であつたらうか。その部屋部屋の姿を空に描いてみると、それは若い時の父が長崎に留学して親しみ馴れてゐたオランダの気分がその中に多分にあつたのではないかと思はれる。しかし十九世紀といふものがああいふのんびりした温い厚みのあるものであつたのかもしれない。自分の国の事もよく知らない私だから、もつと広いよその国の事はなほさら分らない。
大むかしアダムとイヴとが二人で暮してゐた時分、世界はひろく場席がありすぎてゐたが、だんだん人間が殖えて、それでもまだ十九世紀の末ごろのお手水場《てうづば》は三坪の場席を持つてゐた。二十世紀の半分を過ぎたいま昭和二十七年である。一度この国は大きな火に出会つて東京の隅から隅まで一つの寂しい野原になつたのだが、また段々に家が出来、住む人もふえて来た。しかしみんなが各自一軒づつの家を建てて住む事はまだ中々むづかしく、まづ部屋を借りて住むとなれば、夫と妻と二人だけ住むには三坪ぐらゐの場席があれば、それで充分といふことに限定されてゐるようである。私は昔の三坪のお手水場を思ひ出しても、別だんその時代が今よりも愉しかつたと思つてなつかしむのでもない
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