ぐ人間の数も増える。それであとから送るといふやうな智慧を出すこともあつて、そんな智慧は大てい仲人が考へ出すことになつてゐた。
 七荷の荷物だとずつとゆつくり荷物がはいつた。箪笥三棹、長持二つ、吊台二つであるが、この場合長持一つで、吊台を三つにする人もあつた。琴、三味線もむろんこの吊台にのせる。花聟の家がせまい場合には長持を二つ置くだけの場席がないから、広すぎる古い家庭でない限り、花聟の家の方でたいていは二つの長持は辞退するのが多かつた。一つの長持でも、新婚の小さい家では、長持が玄関に置かれてひどくきうくつに見えることが多かつた。
 七荷の荷物までは普通の嫁入り荷物であつたが、貴族とか大店《おほだな》のお嬢さんのよめいり荷物は、十三荷があたり前の事になつてゐた。(九荷といふ荷物はなかつた。九《く》は苦《く》に通じるから嫌はれたらしい。十一荷では少しはんぱの数だから十三と極めたのであらう。西洋風に勘定すれば十一の方が十三よりは数がよろしいけれど、昔はそんな事は知らなかつた)さういふ大騒ぎをする嫁入りは仲人も大てい二組あつて、おもて向きのお席に坐る仲人と、事務の仲人、どちらも必要である。
 さて、箪笥の中身について探つてみると、先づ夏冬の礼服、それに伴ふじゆばん、帯、小物、喪服と黒い帯、(この中には式当日の振袖、長襦袢、丸帯、白襟、帯止等は入れてない)それから訪問に着るお召か小紋の類すくなくとも六七枚、夏のひとへ物、ちりめんと絽ちりめん四五枚、絽の中形、明石とすきやのうす物四五枚、麻のかたびら、長襦袢は絽ちりめんと平絽と麻とそれぞれ数枚、夏帯は丸帯、はら合せ帯、博多のしんなし帯なぞ、まだ単帯やなごや帯は東京にはやつてゐない時分である。羽織は黒紋付、うす色の紋付、小紋の大柄も小柄も。絵羽の羽織はそれからずつと後のものだつた。大島の着物と羽織。これらはすべて新調の品で、そのほかに今まで着なれた物、紫の矢がすりと不断着の銘仙やお召の羽織なぞ相当の数になつた。帯どめは金具つきの物、うちひも、しぼりの丸ぐけ、桃色や濃いあさぎの丸ぐけ。半襟はその頃はまだ無地のちりめんは、少女用の緋ぢりめん桃いろちりめんのほかはなく、みんな多少とも刺繍がしてあり、白襟にまでぬひ[#「ぬひ」に傍点]があつた。コートはまだ毛おりの物はなく、お召の無地や絞柄のもの、あづまコートと言つたのである。足袋は地方の
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