に手を入れたが、いいえ、おつりは、もうけつこうでと私が止めたので、それでは花をもう一つと言つて、彼は咲きかけたつぼみを二つきつて出した。なんと、その可愛いもも色のつぼみが二つで十銭也のおつりであつた。私はその二つのつぼみを貰つたことが嬉しいやうな悲しいやうな気持で歩き出した。
あとで聞いた噂では、そのばら屋さんは、東海道すぢの或る県のお役人で、知事さんのつぎ位な地位にゐた人であつたが、あるとき世間を騒がした疑獄事件で部下のためにわざはひされて退官し、世間から隠れてこの丘に引越して来たのだといふこと、これは誰もたしかに聞いた話ではなかつた。秋咲きのばらの咲く時分に私はまたその辺の畑みちを歩いてみたが、その日は植木屋らしい若い男が働いてゐて、主人は見えなかつた。それから二年ばかり過ぎて、この人は青天白日の身になつて又もとの世界に花々しく帰つて行き、馬込の畑は別の人の家となつた。その後二十何年か経つて、たぶん、戦争中にその人は亡くなつたやうであつた。
終戦以来、戦争の恐れだけはなくなつても、せまい入物の中で攪き廻されてゐるやうな私たちは、みんながどん底に堕ちて、但し反対にのし上がつた人もすこしはあるけれど、大ていの人は生活のために何かしら仕事をしなければ、生きてゆかれない状態に押しつけられてしまつた。その中の一人である私も、何か働きたい、何か仕事を持ちたいと願つてゐたが、求めもとめてゐる人には何かしら思ひがけない道が開かれるやうに思ふ。私はたえて久しく忘れてゐた丘の上のばら屋さんをまた思ひ出した。ばらの花をきり、つぼみを一つきり二つきり、小さい利益と小さい損失を積みかさね、積みかさね、自分の新しい仕事を育ててゆかなければと、この頃しみじみ思ふやうになつた。お花やお茶の先生も、洋裁も、玉子を売ることも愉しいだらう。洗濯婦になることも勇ましく気持が好いだらう。何かしら仕事をして、人におんぶしない生活をしてゆきたい。そして何よりも先づ私たちの詠歎を捨てて行かう。しかし考へてみると、この短文が全部一つの詠歎であるかも知れない。もし、さうだとしたら、ごめんなさい。
底本:「燈火節」月曜社
2004(平成16)年11月30日第1刷発行
底本の親本:「燈火節」暮しの手帖社
1953(昭和28)年6月
初出:「美しい暮しの手帖 十一号」暮しの手帖社
195
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