美術演劇の取締を厳にし加ふるに淫売狩を以てす。皆策の得たるものといふべきなり。
○人猥褻を好まば宜しく猥褻の戒むべき事を論ずべし。これを奨励するとこれを禁圧するとけだしその結果や一たり。共にその事を口にして常にその事に親しむ事を得ればなり。改良といひ矯正と称し進化と号するは当今の流行なり。欠点を挙げ弊害を論ずる事を好むはまたこれ日本人の特徴なり。猥褻の害は論じやすし。論ずれば聴くもの必ず悦《よろこ》んで堵《と》をなす。誰か強いてその利を論ずるの愚をなさんや。然れども害あるものもし用ゆる事宜しければ転じて利となる事無きに非らず。煙草にも徳あり酒にも功あり。
○猥褻を転じて滑稽となせしは天明の狂歌なり。寄筍恋下女恋《ぎじゅんれんげじょれん》等の題目について看《み》るべし。猥褻をして一味いひがたき哀愁の美たらしめしは為永《ためなが》一派の人情本なり。猥褻を基礎として人生と社会を達観したるは川柳『末摘花《すえつむはな》』なり。我国《わがくに》木版術の精巧は春画を措《お》きて他に看るべからず。毛刻《けぼ》りは鼠の歯を以てなすものなりといふ。されど記者いまだ真偽を確めしにあらず。かかる事は確めざるをよしとす。
底本:「荷風随筆集(下)」岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年11月17日第1刷発行
2007(平成19)年7月13日第23刷発行
底本の親本:「荷風随筆 一〜五」岩波書店
1981(昭和56)年11月〜1982(昭和57)年3月
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:門田裕志
校正:阿部哲也
2010年3月8日作成
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