、人情の美を基《もとい》とするを忘れざるなり。文明の人は淫するも時あれば必ず悟《さと》る。悟れば再びその愚を反復する事なし。武骨一片の野暮一度淫すれば必ず溺《おぼ》る。溺れて後大に憤《いきどお》つて治郎左衛門をきめるなり。淫事の恐るべきは武骨一片の野暮なるが故にして淫の淫たるが故に非らざる也と。それ果していづれか是《ぜ》なる。
○世界中猥褻の恐れられたる我国の如く甚しきは稀なるべし。公設展覧会出品の裸体画は絵葉書とする事を禁ぜられ、心中《しんじゅう》情死の文字ある狂言の外題《げだい》は劇場に出す事を許さず。当路の有司《ゆうし》衆庶《しゅうしょ》のこれがために春情を催す事を慮《おもんばか》るが故なり。然ればかくの如きの禁令は日本国民の世界中|最《もっとも》助兵衛なる事を証するものならずや。忠君愛国は久しく日本国民の特徴なり茲《ここ》にまた助兵衛の特徴を加へんか余りに特徴の多きに堪《た》えざるの観あり。
○市中電車の雑沓と動揺に乗じ女客に対して種々なる戯《たわむれ》をなすものあるは人の知る処なり。釣皮にぶらさがる女の袖口《そでぐち》より脇の下をそつと覗いて独り悦《えつ》に入《い》るものあり。隣の女の肩にわざと憑《よ》り掛りあるいは窃《ひそか》に肩の後または尻の方へ手を廻して抱くとも抱かぬともつかぬ変な事をするものあり。女の前に立ちて両足の間に女の膝を入れて時々締めにかかる奴あり。これらの例数ふるに遑《いとま》あらず。これ助兵衛の致す処か。飢ゑたるの致す処か。助兵衛は飽きてなほ欲するものをいふなり。飢ゑたるものは食を選ばず唯無暗にがつがつするなり。飽けば案外おとなしくなるなり。
○縁日《えんにち》の夜、摺違《すれちが》ひに若き女のお尻を抓《つね》つたりなんぞしてからかふ者あり。これからかふ[#「からかふ」に傍点]にして何もその女を姦せんと欲するがために非ず。さういふ男は女郎屋なぞに上ればかへつてさつぱりしたものなり。江戸児《えどっこ》の職人なぞにこの類多し。助兵衛にあらず飢ゑたるにもあらずして女をからかふは何の故ぞや。唯面白ければなり。猥褻は上下万民に了解せらるる興味なり。かくの如く平民的平等的なる興味また他に求むべからず。救世軍の日本に来るやまづ吉原の娼妓によつて事をなす。天下|普《あまね》く喜んでその事の是非を論ぜり。当路の官吏しばしば治績を世に示さんとするや必ず文学
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