ば、此方《こなた》は差迫る両側の建物に日を遮られて湿《しめ》つぽく薄暗くなつてゐる間から、彼方《かなた》遥《はるか》に表通の一部分だけが路地の幅だけにくつきり限られて、いかにも明るさうに賑かさうに見えるであらう。殊に表通りの向側に日の光が照渡つてゐる時などは風になびく柳の枝や広告の旗の間に、往来《ゆきき》の人の形が影の如く現れては消えて行く有様、丁度灯火に照された演劇の舞台を見るやうな思ひがする。夜になつて此方は真暗な路地裏から表通の灯火を見るが如きは云はずとも又別様の興趣がある。川添ひの町の路地は折々忍返しをつけた其の出口から遥に河岸通《かしどほり》のみならず、併《あは》せて橋の欄干や過行く荷船の帆の一部分を望み得させる事がある。此《かく》の如き光景は蓋《けだ》し逸品中の逸品である。
 路地はいかに精密なる東京市の地図にも決して明《あきらか》には描き出されてゐない。どこから這入つて何処へ抜けられるか、或《あるひ》は何処へも抜けられず行止《ゆきどま》りになつてゐるものか否か、それは蓋し其の路地に住んで始めて判然するので、一度や二度通り抜けた位《くらゐ》では容易に判明すべきものではない。路地には往々《わう/\》江戸時代から伝承し来つた古い名称がある。即ち中橋《なかばし》の狩野新道《かのうじんみち》と云ふが如き歴史的由緒あるものも尠《すくな》くない。然しそれとても其の土地に住古《すみふる》したものゝ間にのみ通用されべき名前であつて、東京市の市政が認めて以て公《おほやけ》の町名となしたものは恐らくは一つもあるまい。路地は即ち飽くまで平民の間にのみ存在し了解されてゐるのである。犬や猫が垣の破れや塀の隙間を見出《みいだ》して自然と其の種属ばかりに限られた通路を作ると同じやうに、表通りに門戸を張ることの出来ぬ平民は大道と大道との間に自《おのづか》ら彼等の棲息に適当した路地を作つたのだ。路地は公然市政によつて経営されたものではない。都市の面目体裁品格とは全然関係なき別天地である。されば貴人の馬車富豪の自動車の地響《ぢひゞき》に午睡《ごすゐ》の夢を驚かさるゝ恐れなく、夏の夕《ゆふべ》は格子戸の外に裸体で凉む自由があり、冬の夜《よ》は置炬燵に隣家の三味線を聞く面白さがある。新聞買はずとも世間の噂は金棒引《かなぼうひき》の女房によつて仔細に伝へられ、喘息持《ぜんそくもち》の隠居が咳嗽《せき》は頼まざるに夜通し泥棒の用心となる。かくの如く路地は一種云ひがたき生活の悲哀の中《うち》に自《おのづ》から又深刻なる滑稽の情趣を伴はせた小説的世界である。而《しか》して凡《すべ》て此の世界の飽くまで下世話《げせわ》なる感情と生活とは又この世界を構成する格子戸、溝板《どぶいた》、物干台、木戸口、忍返なぞ云ふ道具立《だうぐだて》と一致してゐる。この点よりして路地は又|渾然《こんぜん》たる芸術的調和の世界と云はねばならぬ。



底本:「日本の名随筆90 道」作品社
   1990(平成2)年4月25日第1刷発行
   1997(平成9)年5月20日第6刷発行
底本の親本:「荷風全集」岩波書店
   1963(昭和38)年2月発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年12月4日作成
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