るなり。日本にては杖は下駄同様に取上げらるるが故銀細工|象牙《ぞうげ》細工なぞしたるものは忽《たちまち》疵物《きずもの》になさるる虞《おそれ》あり。東京市中電車雑沓の中にて泥の附きたる杖傘の先をば平然として人の鼻先へ突付ける紳士もあり。洋風を模していまだ至る事|能《あた》はざる大正の世の中|洵《まこと》に笑ふべきこと多し。
○帽子は既に述べしが如く洋服の形に従つて各《おのおの》戴くべきものあり。背広に鳥打帽を冠るは適《ふさわ》しからず。鳥打帽はその名の如く銃猟、旅行航海等の折にのみ用るものにて、平生都会にてこれを戴くもの巴里あたりにては職工か新聞売子なぞなるべし。欧米ともに黒の山高帽は普通一般に用ひらるるものなり。殊に米国東部の都市にては晴雨共に風甚しきが故、中折帽は吹飛ばされて不便なり。かつまた山高帽は丈夫にて雨にあたりても形崩れず、甚経済なるものなり。夏の炎天にても黒山高帽にてすこしも可笑《おか》しきことなし。中折帽は春より夏にかけて年々の流行あり。されば中折帽を冠るほどなれば洋服もこれに準じて流行の形に従はざれば釣合はずと知るべし。日本人は一般に中折帽を好む。然れども市中の電車にて見るが如き形の崩れたる古き中折帽は西洋にては土工の戴けるものの外《ほか》見ることなし。米国にては上下の階級なき故日曜日には職工も新しき黒の山高帽を戴き女房の手を引きて教会へ説教聞きに行くなり。
○洋服の仕立は日本人よりも支那人の方遥に上手なり。東京にては帝国ホテル前の支那人洋服店評判よし。燕尾服もこの店なれば仕立て得べし。銀座の山崎なぞは暴利を貪るのみにて、縫目《ぬいめ》あるいはボタンのつけ方|健固《けんご》ならず。これ糸を惜しむ故にして、日本人の商人ほど信用を置きがたきはなし。
○仏蘭西にて画工詩人音楽家俳優等は方外の者と見なされ、礼儀に拘捉《こうそく》せざるもこれを咎《とが》むるものなし。さればこの仲間の弟子には自ら特別の風俗あり、頭髪を長くのばし衣服は天鵞絨《ビロード》の仕事服にて、襟かざりの長きを風になびかし、帽子は大黒頭巾の如きを冠る。中折帽に似てその鍔《つば》広く大なるを冠るもあり。これを芸人帽子(シャッポーダルチスト)と呼ぶなり。冬も外套を着ず。マントオを身にまとふ。眉目清秀《びもくせいしゅう》なる青年にてその姿やや見すぼらしきが雪の降る夕なぞ胡弓入れたる革鞄《かわかばん》を携へ公園の樹陰を急ぎ行く姿なぞ見れば、何となく哀れにまた末頼《すえたのも》しき心地せらるるなり。かかる風俗巴里ならでは見られぬなり。
○都見物左衛門先生が『時勢粧《いまようすがた》』あまりの面白さに、己れもまけじと洋服論書きて見たれど、どうやら種も尽きたれば自然これにて完結とはなりけらし。
[#地から2字上げ]大正五年八月



底本:「荷風随筆集(下)」岩波文庫、岩波書店
   1986(昭和61)年11月17日第1刷発行
   2007(平成19)年7月13日第23刷発行
底本の親本:「荷風随筆 一〜五」岩波書店
   1981(昭和56)年11月〜1982(昭和57)年3月
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:門田裕志
校正:阿部哲也
2010年3月8日作成
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