廊に参列して礼拝《らいはい》の式をなした。かく説明する僧侶の音声は(言語の意味からではない。)如何によく過去の時代の壮麗なる式場の光景を眼前に髣髴《ほうふつ》たらしめるであろうか。
 自分は厳《おごそ》かなる唐獅子の壁画に添うて、幾個《いくつ》となく並べられた古い経机《きょうづくえ》を見ると共に、金襴《きんらん》の袈裟《けさ》をかがやかす僧侶の列をありありと目に浮《うか》べる。拝殿の畳の上に据え置かれた太鼓と鐘と鼓とからは宗教的音楽の重々しく響出《ひびきで》るのを聞き得るようにも思う。また振返って階段の下なる敷石を隔てて網目のように透彫《すきぼり》のしてある朱塗の玉垣と整列した柱の形を望めば、ここに居並んだ諸国の大名の威儀ある服装と、秀麗なる貴族的容貌とを想像する。そして自分は比較する気もなく、不体裁《ふていさい》なる洋服を着た貴族院議員が日比谷の議場に集合する光景に思い至らねばならぬ。
 これにつけてもわれわれはかのアングロサキソン人種が齎《もたら》した散文的実利的な文明に基《もとづ》いて、没趣味なる薩長人の経営した明治の新時代に対して、幾度《いくたび》幾年間、時勢の変遷と称する余儀ない事情を繰返し繰返して嘆いていなければならぬのであろう。
 われわれは已《すで》に今日となっては、いかに美しいからとて、昔の夢をそのままわれらの目の前に呼返そうと思ってはおらぬ。しかしながら文学美術工芸よりして日常一般の風俗流行に至るまで、新しき時代が促《うなが》しつくらしめる凡《すべ》てのものが過去に比較して劣るとも優っておらぬかぎり、われわれは丁度かの沈滞せる英国の画界を覚醒したロセッチ一派の如く、理想の目標を遠い過去に求める必要がありはせまいか。
 自分は次第に激しく、自分の生きつつある時代に対して絶望と憤怒《ふんぬ》とを感ずるに従って、ますます深く松の木蔭《こかげ》に声もなく居眠っている過去の殿堂を崇拝せねばならぬ。
 欄間や柱の彫刻、天井や壁の絵画を一ツ一ツに眺めよう。
 自分はここにわれらの祖先が数限りなく創造した東洋固有の芸術に逢着する。松、竹、梅、桜、蓮、牡丹《ぼたん》の如き植物と、鶴、亀、鳩、獅子、犬、象、竜の如き動物と、渦巻く雲、逆巻く波の如き自然の現象とは、いずれも一種不思議な意匠によって勇ましくも写実の規定から超越して巧みに模様化せられ、理想化せられてある。われわれは今日《こんにち》春の日の麗《うるわ》しい自然美を歌おうとするに、どういう訳で殊更《ことさら》ダリヤと菫《すみれ》の花とを手折《たお》って来なければならなかったのであろう。
 朱塗の玉垣のほとりには敷石に添うて幾株の松や梅が植えられてある。これらの植物の曲って地に垂れたその枝振りと、岩のようにごつごつして苔に蔽われた古い幹との形は、日本画にのみ見出される線の筆力を想像せしめる。並んだ石燈籠の蔭や敷石の上にまるで造花《つくりばな》としか見えぬ椿の花の落ち散っている有様は、極めて写実的ならざる光琳派《こうりんは》の色彩を思わしめる。互いに異なる風土からは互いに異なる芸術が発生するのは当然の事であろう。そして、この風土|特種《とくしゅ》の感情を遺憾なく発揮する処に、凡《すべ》ての大《だい》なる芸術の尽きない生命が含まれるのではあるまいか。
 雪の降る最中、自分はいつものように霊廟を訪《たず》ねた事があった。屋根に積った真白な雪の間から、軒裏《のきうら》を飾る彫刻の色彩の驚くばかり美しく浮上っていた事と、漆塗の黒い門の扉を後《うしろ》にして落花のように柔かく雪の降って来る有様と、それらは一面の絵として、自分には如何なる外国の傑作品をも聯想《れんそう》せしめない、全く特種の美しい空想を湧起《ゆうき》せしめた事を記憶している。強《し》いて何かの聯想を思い出させれば、やはり名所の雪を描いた古い錦絵か、然らずば、芝居の舞台で見る「吉野山《よしのやま》」か「水滸伝《すいこでん》」の如き場面であろう。けれども、それらの錦絵も芝居の書割《かきわり》も決して完全にこの珍らしい貴重なる東洋固有の風景を写しているとは思えない。
 寒月《かんげつ》の隈《くま》なく照り輝いた風のない静な晩、その蒼白い光と澄み渡る深い空の色とが、何というわけなく、われらの国土にノスタルジックな南方的情趣を帯びさせる夜《よる》、自分は公園の裏手なる池のほとりから、深い樹木に蔽われた丘の上に攀《よ》じ登って、二代将軍の墳墓に近い朱塗の橋を渡り、その辺《へん》の小高い処から、木の根に腰をかけて、目の下一面に、二代将軍の霊廟全体を見下《みおろ》した事がある。
 底光りのする空を縫った老樹の梢《こずえ》には折々|梟《ふくろ》が啼いている。月の光は幾重《いくえ》にも重《かさか》った霊廟の屋根を銀盤のように、その軒裏の彩色を不知火《しらぬい》のように輝《かがやか》していた。屋根を越しては、廟の前なる平地が湖水の面《おもて》のように何ともいえぬほど平かに静に見えた。二重にも三重にも建て廻《めぐ》らされた正方形なる玉垣の姿と、並んだ石燈籠の直立した形と左右に相対して立つ御手洗《みたらし》の石の柱の整列とは、いずれも幽暗なる月の光の中に、浮立つばかりその輪郭を鋭くさせていたので、もし誇張していえば、自分は凡て目に見る線のシンメトリイからは一所《いっしょ》になって、或る音響が発するようにも思うのであった。しかしこの音楽はワグネルの組織ともドビュッシイの法式とも全く異ってその土地に生れたものの心にのみ、その土地の形象が秘密に伝える特種の芸術の囁《ささや》きともいうべきであったろう。
 已に半世紀近き以前一種の政治的革命が東叡山《とうえいざん》の大伽藍《だいがらん》を灰燼《かいじん》となしてしまった。それ以来新しくこの都に建設せられた新しい文明は、汽車と電車と製造揚《せいぞうば》を造った代り、建築と称する大なる国民的芸術を全く滅してしまった。そして一刻一刻、時間の進むごとに、われらの祖国をしてアングロサキソン人種の殖民地であるような外観を呈せしめる。古くして美しきものは見る見る滅びて行き新しくして好きものはいまだその芽を吹くに至らない。丁度焼跡の荒地《あれち》に建つ仮小屋の間を彷徨《さまよ》うような、明治の都市の一隅において、われわれがただ僅か、壮麗なる過去の面影に接し得るのは、この霊廟、この廃址《はいし》ばかりではないか。
 過去を重んぜよ。過去は常に未来を生む神秘の泉である。迷える現在の道を照す燈火《とうか》である。われらをして、まずこの神聖なる過去の霊場より、不体裁《ふていさい》なる種々の記念碑、醜悪なる銅像等凡て新しき時代が建設したる劣等にして不真面目なる美術を駆逐し、そしてわれらをして永久に祖先の残した偉大なる芸術にのみ恍惚《こうこつ》たらしめよ。自分は断言する。われらの将来はわれらの過去を除いて何処《いずこ》に頼るべき途《みち》があろう。
[#地から2字上げ]明治四十三年六月



底本:「荷風随筆集(上)」岩波文庫、岩波書店
   1986(昭和61)年9月16日第1刷発行
   2006(平成18)年11月6日第27刷発行
底本の親本:「荷風随筆 一〜五」岩波書店
   1981(昭和56)年11月〜1982(昭和57)年3月
入力:門田裕志
校正:阿部哲也
2010年4月15日作成
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