人は意気揚々として九段坂を下り車を北廓に飛した。
腕車《わんしゃ》と肩輿《けんよ》と物は既に異っているが、昔も今も、放蕩の子のなすところに変りはない。蕩子のその醜行を蔽うに詩文の美を借来らん事を欲するのも古今また相同じである。揚州十年の痴夢《ちむ》より一覚する時、贏《か》ち得るものは青楼《せいろう》薄倖の名より他には何物もない。病床の談話はたまたま樊川《はんせん》の詩を言うに及んでここに尽きた。
縁側から上って来た鶏は人の追わざるに再び庭に下りて頻《しきり》に友を呼んでいる。日暮の餌をあさる鶏には、菓子鉢の菓子は甘すぎたのであろう。
唖々子は既にこの世にいない。その俳句文章には誦《しょう》すべきものが尠《すくな》くない。子は別に不願醒客と号した。白氏の自ら酔吟先生といったのに倣《なら》ったのであろうか。子の著『猿論語』、『酒行脚《さけあんぎゃ》』、『裏店《うらだな》列伝』、『烏牙庵漫筆《うがあんまんぴつ》』、皆酔中に筆を駆《か》ったものである。
わたしは子の遺稿を再読して世にこれを紹介する機会のあらんことを望んでいる。
[#地から2字上げ]大正十二年七月稿
底本:「荷風随筆集(下)」岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年11月17日第1刷発行
2007(平成19)年7月13日第23刷発行
底本の親本:「荷風随筆 一〜五」岩波書店
1981(昭和56)年11月〜1982(昭和57)年3月
入力:門田裕志
校正:阿部哲也
2010年3月9日作成
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