を捜《さぐ》らんと欲すれば画趣詩情は到る処に見出し得られる。例えば四谷愛住町《よつやあいずみちょう》の暗闇坂《くらやみざか》、麻布二之橋向《あざぶにのはしむこう》の日向坂《ひゅうがざか》の如きを見よ。といった処でこれらの坂はその近所に住む人の外はちょっとその名さえ知らぬほどな極めて平々凡々たるものである。しかし暗闇坂は車の上《のぼ》らぬほど急な曲った坂でその片側は全長寺《ぜんちょうじ》の墓地の樹木鬱蒼として日の光を遮《さえぎ》り、乱塔婆《らんとうば》に雑草|生茂《おいしげ》る有様何となく物凄い坂である。二の橋の日向坂はその麓を流れる新堀川《しんほりかわ》の濁水《だくすい》とそれに架《かか》った小橋《こばし》と、斜《ななめ》に坂を蔽う一株《ひとかぶ》の榎《えのき》との配合が自《おのずか》ら絵になるように甚だ面白く出来ている。振袖火事《ふりそでかじ》で有名な本郷本妙寺《ほんごうほんみょうじ》向側の坂もまたその麓を流るる下水と小橋とのために私の記憶する処である。赤坂喰違《あかさかくいちがい》より麹町清水谷《こうじまちしみずだに》へ下《くだ》る急な坂、また上二番町辺樹木谷《かみにばんちょうへんじゅもくだに》へ下《おり》る坂の如きは下弦の月鎌の如く樹頭に懸る冬の夜《よ》、広大なるこの辺《へん》の屋敷屋敷の犬の遠吠え聞ゆる折なぞ市中とは思えぬほどのさびしさである。坂はまた土地の傾斜に添うて立つ家屋塀樹木等の見通しによって大《おおい》に眼界を美ならしむる。則ち旧|加州侯《かしゅうこう》の練塀《ねりべい》立ちつづく本郷の暗闇坂の如き、麻布長伝寺《あざぶちょうでんじ》の練塀と赤門見ゆる一本松の坂の如きはその実例である。
私はまた坂の中《うち》で神田明神《かんだみょうじん》の裏手なる本郷の妻恋坂《つまごいざか》、湯島天神裏花園町《ゆしまてんじんうらはなぞのちょう》の坂、また少しく辺鄙《へんぴ》なるを厭《いと》わずば白金清正公《しろかねせいしょうこう》のほとりの坂、さては牛込築土明神裏手《うしごめつくどみょうじんうらて》の坂、赤城《あかぎ》明神裏門より小石川|改代町《かいたいまち》へ下りる急な坂の如く神社の裏手にある坂をば何となく特徴あるように思い、通る度《たび》ごとに物珍らしくその辺《へん》を眺めるのである。坂になった土地の傾斜は境内《けいだい》の鳥居や銀杏《いちょう》の大木や拝殿の
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