あってはクロワルッスの坂道から、手摺《てず》れた古い石の欄干を越えて眼下にソオンの河岸通《かしどおり》を見下《みおろ》しながら歩いた夏の黄昏《たそがれ》をば今だに忘れ得ない。あの景色を思浮べる度々、私は仏蘭西《フランス》の都会は何処へ行ってもどうしてあのように美しいのであろう。どうしてあのように軟く人の空想を刺戟するように出来ているのであろうと、相も変らず遣瀬《やるせ》なき追憶の夢にのみ打沈められるのである。
その頃私は年なお三十に至らず、孤身|飄然《ひょうぜん》、異郷にあって更に孤客となるの怨《うらみ》なく、到る処の青山《せいざん》これ墳墓地《ふんぼのち》ともいいたいほど意気|頗《すこぶる》豪なるところがあったが今その十年の昔と、鬢髪《びんぱつ》いまだ幸《さいわい》にして霜を戴かざれど精魂漸く衰え聖代の世に男一匹の身を持てあぐみ為す事もなき苦しさに、江戸絵図を懐中《ふところ》に日和下駄《ひよりげた》曳摺《ひきず》って、既に狂歌俳句に読古《よみふる》された江戸名所の跡を弔《とむら》い歩む感慨とを比較すれば、全くわれながら一滴の涙なきを得ない。さりながら、かの端唄《はうた》の文句にも、色気ないとて苦にせまい賤《しず》が伏家《ふせや》に月もさす。徒《いたずら》に悲み憤《いきどお》って身を破るが如きはけだし賢人のなさざる処。われらが住む東京の都市いかに醜く汚しというとも、ここに住みここに朝夕《ちょうせき》を送るかぎり、醜き中《うち》にも幾分の美を捜り汚き中にもまた何かの趣を見出し、以て気は心とやら、無理やりにも少しは居心地住心地のよいように自《みずか》ら思いなす処がなければならぬ。これ元来が主意というものなき我が日和下駄の散歩の聊《いささ》か以て主意とする処ではないか。
そもそも東京市はその面積と人口においては既に世界屈指の大都《だいと》である。この盛況は銀座日本橋の如き繁華の街路を歩むよりも、山の手の坂に立って遥《はるか》に市中を眺望する時、誰《た》が目にも容易《たやす》く感じ得らるる処である。この都に生れ育ちて四時の風物何一つ珍しい事もないまでに馴れ過ぎてしまったわれらさえ、折あって九段坂《くだんざか》、三田聖坂《みたひじりざか》、あるいは霞《かすみ》ヶ|関《せき》を昇降する時には覚えずその眺望の大なるに歩みを留《とど》めるではないか。東京市は坂の上の眺望によって
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