ついておのずから一考しなければならなかったのである。
 其年露西亜オペラは九月の下旬までおよそ一個月間興行していた。この間わたくしは毎夜怠らず聴きに往くに従って、初日の当夜経験したような感覚の混乱は次第に和げられて行くのを知った。音楽が誘いおこす幻想と周囲の実況とを全く分離せしめ、互に相冒さしめぬように努めることができるようになった。
 露西亜オペラの一座はそれより二年を過ぎて大正十年の秋重ねて渡来し、東京に在っては帝国劇場と有楽座とに演奏をつづけた。わたくしが始めてチャイコウスキイの作曲イウジェーン・オネーギンの一齣が其の本国人によって其の本国の語で唱われたのを聴得たのは有楽座興行の時であった。斯くの如き演奏は露西亜に赴くに非らざれば、欧洲に在っても容易に聴く機会なきものであろう。わたくしは演劇及オペラの如き芸術家の肉体と肉声とを必須となす芸術は、必其の作者と人種を同じくする者によって演ぜられる事を望んでいる。カルメンの完全なる演出は仏蘭西人を俟たねばならぬが如く、トリスタンは独逸人でなければならぬであろう。わたくしは曾て米国に在った時米国の俳優の演ずるモリエールの戯曲を聴くことを好まなかった。それと同じ理由から、わたくしは日本語に翻訳せられた西洋の戯曲と、殊に歌謡の演出に対して感興を催すことの甚困難であることを悲しむものである。
 帝国劇場のオペラは斯くの如くして震災後に到っては年々定期の演奏をなすようになった。最初の興行より本年に到って早く既に九年を過ぎている。此の間に露西亜バレエの一座も亦来って其技を演じた。九年の星霜は決して短きものではない。西欧のオペラ及バレエが日本の演芸界に相応の感化を与えるには既に十分なる時間である。況や帝国劇場は西洋オペラを招聘する以前に在って、曾て一たび歌劇部を設けて部員を教練したことさえあるに於てをや。思うに日本の演芸界は既に種々なる新運動を試みているに相違ない。唯之を知る機会なきわたくしが一人之を知らざるに止まっているのであろう。
 今年帝国劇場は三月に伊太利亜オペラを興行し、四月に入って露西亜オペラの一座を呼び迎えた。いずれもわたくしの往きて聴くことを娯しみとなした所なので、思いついたまま其の事をここにしるした。
[#地から1字上げ]昭和二年五月



底本:「日和下駄 一名 東京散策記」講談社文芸文庫、講談社
   199
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