助の弟子で、家は佐竹ツ原だといふ――いつも此の娘と連立つて安宅蔵《あたけぐら》の通を一ツ目に出て、両国橋をわたり、和泉橋際で別れ、わたくしはそれから一人とぼ/\柳原から神田を通り過ぎて番町の親の家へ、音のしないやうに裏門から忍び込むのであつた。
 毎夜連れ立つて、ふけそめる本所の町、寺と倉庫の多い寂しい道を行く時、案外暖く、月のいゝ晩もあつた。溝川の小橋をわたりながら、鳴き過る雁の影を見送ることもあつた。犬に吠えられたり、怪しげな男に後をつけられて、二人とも/″\息を切つて走つたこともあつた。道端に荷をおろしてゐる食物売《たべものうり》の灯《あかり》を見つけ、汁粉、鍋焼饂飩に空腹をいやし、大福餅や焼芋に懐手をあたゝめながら、両国橋をわたるのは殆毎夜のことであつた。然しわたくし達二人、二十一二の男に十六七の娘が更け渡る夜の寒さと寂しさとに、おのづから身を摺り寄せながら行くにも係らず、唯の一度も巡査に見咎められたことがなかつた。今日、その事を思返すだけでも、明治時代と大正以後の世の中との相違が知られる。その頃の世の中には猜疑と羨怨の眼が今日ほど鋭くひかり輝いてゐなかつたのである。
 その夜
前へ 次へ
全14ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
永井 荷風 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング