や倫敦の町に降る雪とは全くちがつた趣があつた。巴里の町にふる雪はプツチニイがボヱームの曲を思出させる。哥沢節《うたざはぶし》に誰もが知つてゐる「羽織かくして」といふ曲がある。

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羽織かくして、袖ひきとめて、どうでもけふは行かんす
かと、言ひつ、立つて櫺子窓《れんじまど》、障子ほそめに引きあけて、
あれ見やしやんせ、この雪に。
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 わたくしはこの忘れられた前の世の小唄を、雪のふる日には、必ず思出して低唱したいやうな心持になるのである。この歌詞には一語の無駄もない。その場の切迫した光景と、その時の綿々とした情緒とが、洗練された言語の巧妙なる用法によつて、画よりも鮮明に活写されてゐる。どうでも今日は行かんすかの一句と、歌麿が青楼年中行事の一画面とを対照するものは、容易にわたくしの解説に左袒するであらう。
 わたくしはまた更に為永春水の小説「辰巳園《たつみのその》」に、丹次郎が久しく別れてゐた其情婦仇吉を深川のかくれ家にたづね、旧歓をかたり合ふ中、日はくれて雪がふり出し、帰らうにも帰られなくなるといふ、情緒纏綿とした、その一章を思出す。同じ作者
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