く、道はすつかり乾いて、もとのやうに砂ほこりが川風に立迷ふやうになつた。正月は早くも去つて、初午の二月になり、師匠むらくの持席《もちせき》は、常磐亭から小石川|指ヶ谷町《さすがやちやう》の寄席にかはつた。そしてかの娘はその月から下座をやめて高座へ出るやうになつて、小石川の席へは来なくなつた。帰りの夜道をつれ立つて歩くやうな機会は再び二人の身には廻つては来なかつた。
娘の本名はもとより知らず、家も佐竹とばかりで番地もわからない。雪の夜の名残は消え易い雪のきえると共に、痕もなく消去つてしまつたのである。
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巷《ちまた》に雨のふるやうに
わが心にも雨のふる
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といふ名高いヴヱルレーヌの詩に傚つて、若しもわたくしが其国の言葉の操《あやつ》り方《かた》を知つてゐたなら、
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巷に雪のつもるやう
憂《うれ》ひはつもるわが胸に
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或はまた
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巷に雪の消ゆるやう
思出は消ゆ痕もなく
………………………
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とでも吟じたことであらう。
底本:「日本の名随筆51 雪」作品社
1987(昭和62)年1月25日第1刷発行
1999(平成11)年2月25日第10刷発行
底本の親本:「荷風全集 第十七巻」岩波書店
1964(昭和39)年7月発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年12月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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